武術・太極拳

 日曜日 12:30~14:30      会費 1500円/一回
 種類 1.岳氏連拳(がくしれんけん)
    2.劈掛通背拳(ひかつうひけん)
    3.太極拳(王新午式)
  練習者は自らの体質や趣味・目的などに応じて、左の三種類のうち一つを選んで練習する。 
        
                                        立教大学での武術授業の風景(劈掛拳)
     
        
左より:武術会員の康磊が劈掛拳の伝統技で散打大会に優勝する。
   源流・伝承
 岳氏連拳(八翻手)・太極拳  通背劈掛拳
岳氏連拳は、別名八翻手。その応用は岳氏散手という。廖赤陽は馬秀堂先生から習った。馬先生は、高名な医者であり、王新午先生の弟子である。全部で24路拳法から構成されており、現在中国ではほとんど伝わっていない希少な少林系統の武術の一種である。擒拿・跌打・点穴・錯骨・分筋などの技を中心とする「貼身短打」(至近距離での技)技術の体系に属する。

現代中国、貴重な武術の発掘・保存作業の一環として「古拳譜」が刊行されている。
下1は「古拳譜」として刊行された王新午著『岳氏八翻手』
下2はその弟子の馬秀堂先生(1912-)の著書『中国太極気功術』下3は王新午手書き『王新午太極拳法闡宗摘要』
下4は王新午著『太極拳法実践』。↓
  通背劈掛拳は、中国の滄州に伝わる武術の一種で、日本において、「疾風怒涛」の実戦拳法と評価され、現在、認知度のもっとも高い中国伝統武術のひとつに数えられる。廖赤陽はこの流派を孫振環老師の弟子・厦門武術協会副主席李家才先生より受け継いでいる。
 孫振環老師は、滄州塩山の出身で、日本の武術愛好者に広く読まれた漫画『拳児』にも登場する滄州劈掛拳の伝説的な人物である左清甲の兄弟弟子にあたる。中華民国初期、西北軍の武術教練や天津などでの鏢師(商店や貨物・旅人などを護衛する職業)生涯を経て、1935年に東南沿海の厦門に移住、通臂劈掛拳社を設立し、この北方拳法を南方に伝わる第一人となった。同拳法は、さらに華僑の故郷である厦門を拠点に海外へと伝わり、現在、香港、台湾、東南アジアないしアメリカなどの伝統劈掛拳のほとんどが、孫振環老師の伝承を汲むものである。
 孫振環老師の劈掛拳は、専ら滄州左家荘(左宝梅)より伝承されたものであり、その技術構成と表現風格は、今日よくみられる劈掛拳とは大いに異なっている。
  王新午先生は、1930年代から新中国成立後にいたって、山西省、陝西省の武術界をリードしてきた者であり、同地の中医委員会の主任でもあった。彼は、許禹生、呉鑑泉、紀子修三先生から太極拳を受け継ぎ、同時に、劉恩綬、紀子修から岳氏連拳を受け継いだ。諸先生のうち、許は北平(民国初年の北京の名称)国術館の館長で、呉は呉式太極拳の創立者であった。
←王新午先生(1890-1964) 
 
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 3 1.孫振環老師。
2.孫振環老師のお墓、墓碑には、
「一代宗師」の文字が刻まれている。
3.孫振環老師が槍術を練習する写真。
(以上1-3は、滄州通背劈掛拳頒譜大
会編纂の『滄州通背劈掛拳譜』より引用) 
 

4.1950年代、孫振環老師の演武。
 
   
   
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