オンライン気功講座

 廖赤陽教授が2003年に香川大学で「風水」についての講義
  6、風水について

 (一)総論:風水を信じるか
 (二)各論:風水、気功、そして文化

香川大学における風水の講義の後に、学生たちより回収したアンケートの抜粋
  いままで、風水というものはあまり信用してなかったが、今日の講義を通して、少なくとも風水に対して興味を持つことができた。

  科学的に解明されてないので半信半疑であった。この半信半疑の心を捨てて気に身をゆだねることで風水の力を真に実感できると感じた。

  気功なんで、うそくさいと思っていたが、やってみると両手の間になんらかの感覚が出てきて驚いた。やっぱりこういうものは体験しないとわからないものだ。

  いま日本で一番知られている風水師はDrコパという人だと思うが、あの人の風水は信用できるのだろうか。

  占いは結構好きで、気功については全く信じていませんでした。(練習中)手にびりびりとしたので、うそではないと思いました。

  私は占いなどの自分には感じられない科学で説明できないことは信じていない。それは、人々の心をまどおしか金をもうけようとする人が多いからだ。
  しかし、今日の授業で行った風水を感じるトレーニングで感じた手のびりびり感はいったい何なのだろうか。これが気を感じるということなのだろうか。しかし、私はまだ本気で信じたわけではない。また風水を学び得たことは正直のところあまりないように思える。しかし手のびりびりは不思議だった。


 (廖赤陽教授)コメント:信じるか信じないか、のような議論が予想以上に多い。個々の答えを避けて、全体的に以下の二点のコメントをしたい。

1、 信じるかどうか、これは、宗教的、または法律的な領域で議論すべき問題である。

  日本国の憲法には、宗教・信仰の自由がある、と定めてある。つまり、個々の人は、どういうことを信じるか、信じないか、という問題は、少なくとも、今回の東アジア文化論のような学問的領域では議論の対象にならない。
  学問そのものは、信仰のこととごっじゃ混ぜると困る。私たちは、あくまでもある研究対象(たとえ風水)に対し、どのような歴史的・文化的な背景があり、それをどのような理論と方法の枠組みで分析するか、などを問題意識としている。

2.「科学で説明できないことは信じていない…しかし手のびりびりは不思議だった。」

  上掲の質問から提起された科学史上の問題が極めて大きい。なぜならば、この二百年間における人類の頭と体、精神と肉体、理性と感性、科学と日常の分裂、対抗、格闘と苦悩が示されているからである。
  もともと、ルネサンスによって人類は神学から人間を解放することをはかり、客観的に世界を見ようとして科学を発展させてきた。同時に、人類が何千年、何万年、何十万年の歳月を通して築かれてきた内在的・体験的な世界認識方法が完全に排除されて、もっぱら外在的な・物的な手段による実験という方法のみに頼って世界を分析してきた。上述の質問に見られる分裂現象はこうした近代歴史の当然の産物である。
  このような苦悩に対し、私もひとつのことを質問したい。いままでの科学は完結されているのか。もし、科学と事実の間にひとつを選ぼうとしたら、あなたは、どちらかを選ぶのか。

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