一指禅功の紹介

   ( 目次 )
   劉永言老師と一指禅功
   一指禅功の三つの功法
   一指禅功点穴療法について
   劉永言老師のスケッチ

  劉永言老師のスケッチ ( 廖赤陽


  劉師速写

   余師劉永言、為六代中医世家之長男、幼少時因一段奇縁有幸為ケン禅法師収為弟子、遂為北少林一指禅功之唯一伝人。師既秉岐黄之家学、乃従山見禅法師悉得一指禅功内参外修与活人絶技、復於医学院接受西方医学完整系統之科学訓練、功修内外、学貫中西、博通今古、終成一代医学巨璧、五十年懸壷済世、治病救人不可以計数。
   師淡泊名利但以仁術済世、然其道豈囿於仁者之術哉。師嘗言、為医者当上知天文、下察地理、中通人事、而以知人為要。余従師時浅復愚、於師之学十不覗一、然以余随侍之聞見、毎於師之学術所傾倒。挙其大者、曰禅学、曰医道、曰気功、曰食療、曰書道、曰風水、曰相学。余窃以為其学術、以禅為学之本、以医為術之基。其禅也、不拘形式、別於叢林。於佛曰慈、於医曰仁、但従心入手、以心為帰依。有如風過長天、無拘無束、雁過秋譚、不留痕跡、而又随処皆生大歓喜。其医也、以一指禅功点穴療法為体、以中西医学為用。而師傍渋雑学、凡文章、説法、書道、地理、人相、服飾、美食、飲酒、乃至於放歌忘形、無不臻於化境、而諸術亦多出於医道、亦可以用於医道、信手拈来、輒奏奇功。
   師出入禅医、来去空有、其道以一指禅功貫之。

   余の師劉永言は、六代の中医世家の長男。幼少の時、一段の奇縁により、ケン禅法師に弟子に収める幸いが有り、遂に北少林寺一指禅功の唯一の伝人となる。師、既に岐黄の家学を秉し、乃ちにケン禅法師に従い一指禅功の内参と外修と人を活かす絶技を悉く得る。また医学院で西方医学の完整された系統的な科学訓練を接し受け、功は内外を修め、学は中西を貫き、今古を博く通じ、終いに一代の医学の巨璧となる。壷を懸けて世をすくって五十年、病を治して人を救い、数を以って数えるべからず。
   師は名利を淡泊してただ仁術を以って世を救う。然れども、その道はあに仁者之術にとらわれるや。師嘗て言う。医なる者はまさに上は天文を知り、下は地理を察し、中に人事を通じ、しかも人を知るのをもって要とす。余は師に従う時は浅くまた愚かなり、師の学を十に一を覗かず。然れども余随って侍す見聞を以って、師の学術のところごとに傾倒す。その大いなるものを挙げれば、禅学をいい、医道をいい、気功をいい、食療をいい、書道をいい、風水をいい、相学をいう。その学術を以って余ひそかに思う、禅を以ってその学となす、医を以ってその術の基となす。その禅なり、形式にとらわれず、叢林と別れる。佛において慈を言う、医において仁を言う。心より入手し、心を以って帰依す。長天に風を過ぎるごときあり、束ねるなしとらわるなし。秋の淵に雁が過ぎるごとき、痕跡を留まらず。またいたるところに大いなる歓喜を生ずる。その医なり、一指禅功点穴療法を以って体となし、中西の医学を以って用となす。しかも師は雑学にそいて渉り、およそ文章、説法、書道、地理、人相、服飾、美食、飲酒、すなわち放歌して形を忘れにいたって、化境に至らざる無し。諸術もまた医道によりて出る。また医道を以って用いるべし。手をのばしてひねりて来たり、すなわち奇功を奏す。
   師は禅医に出入りし、空有に来去し、その道は一指禅功を以って貫く。

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