| 一年を振り返って
2005年4月
気功法師範 高須
どのようにレポートを書いたらいいのか、この一年の「私」を綴るなかで出来上がってくるだろうか。 歳を重ねるごとに時の流れが速くなるのは一般的な感覚である。老いれば老いるほど一年とはあっという間の時なのだ。だが、気功法師範の認定書を頂いた一年前は遠い昔のように思える。99年の歳を重ねてもなお娘へのお説教を忘れない母の言葉は「おまえ無理するんじゃないよ。あまり無理を重ねるとヤレヤレと思った時に病気をするから」。ある意味では母のこんな言葉とおりの時を迎えた一年だったのだろうか。 課題は人を成長させる。ある意味ではそんな一年であったかもしれない。課題で自分を成長させることができる人間にいつしか私が育っていたのかもしれないが。 まさしくちょうど一年前にホームドクターから心臓専門医への紹介状を渡され、心臓専門医では手術を進められた。私自身のそんな状態のなかで5月の連休に夫は心臓の状態が悪化し入院を促される事態となり、スイスイ先生のお世話になることになった、また高齢の母はそれまでお世話になっていた施設での介護の断りを受けた。方や問題だらけの職場ではストレス源をさらに増やされていた。 養生の旅は夫を伴った。飛行機に乗るのが怖く海外旅行はする気のなかった夫が海外旅行をする気になっていたのだが、健康問題からそれは不可能になっていた。「養生の旅なら可能だ。」長年の友への思いやりだった。加えて2月には万難を排しフロリダへ連れて行った。彼は、家族でただ一人フロリダを知らない人であり、養生の旅の経験でフロリダへも行ってみたくなっていたから。連れていかれるとしたら今ではないか。フロリダ旅行を経験せずにもし彼が逝くようなことがあったら、永年の付き合いで唯一残る悔いではないかという思いが、私に決断させた。フロリダ旅行が私の体に与えたダメージは大きいものだった。私の気が彼の飛行機への恐怖心を吸収し、また時に強行軍であった旅の間、彼の健康を支えていたようにも思う。 この旅行中にある教会の中に入ったが、そこで神社仏閣では全く感じないものを感じ取った。日頃は無信教徒と思いつつ、しかし心の底はクリスチャンなのかと思った。 一時期毎夜床の中で聖母マリアに抱かれるエンジェルをイメージしていた。そんなイメージを自らの心の支え、心の変革に使っていた。そんなことが影響しているのかもしれないが。 心臓を理由にしての休暇を多く取りながら、振り返ってみれば好きなテープ越しは健康状態など無視してやっていたのだと思う。気功と大学、気功と中医、気功とスポーツ・宗教・中医との同異について、アフィ先生のお話、また3年後しに抱えていた一指禅功の理論を完成させた。通常のテープとは違い気が入っているからだが。 理論学習をする時間は全く持てない生活のなかで、テープ越しという作業により心の進むべき方向を身に付けていっていると思う。 3月にはフロリダ在住の姉が帰国し我が家に滞在している間は子供家族も帰ってきていた。小さな孫どもが側に居たら心が癒されるのにと時には思うことはあっても、これまで家族が集まることは体の負担ゆえに心の負担となっていた。だが今回は「どんな時も時は流れる」そんな私の思想が自然に心の中を流れ、ストレスは心の奥深くに沈んでいた。 一指禅功を始めてからは無理をしてでも5時に起床し練習をしていた。この一年、1週間7日練習した日はない。ひどいときは2,3日ということもあった。首の運動も64回はしなくなった。日々64回するというのは逆にストレスになっていることに気が付いたからだ。 もう半年になるだろうか。夜に調気法、第3節、首の運動12回をしている。肺経・心臓・悪玉コレステロール対策で始めたことだ。第3節では拝む前に振動功を入れるという私流の第3節をしている。毎週水曜日を除けばできないという日は少ない。
調気法は私を大きく変えてくれたような気がする。動功は命功であるが調気法は性功でもあることを、調気法を重ねる中で実感した。調気法が心を静かなものにさせ、静功での雑念も少なくさせているような気がする。さらにはストレスの囚われの人ではなくなってきていることを強く感じる。もちろんこの変化のベースには体全体の回復があり、スイスイ先生、赤陽先生、劉先生のお陰が大きい。 「2004年養生の旅 旅行報告」の中で赤陽先生が「命功と性功」を提起された。しばらくの間は私なりに考え、しかし私のごときレベルの人間がテーマとする事ではないというところに行き着き、やめた。だが、このテーマについて調気法は教えてくれているような気がする。
養生の旅で劉先生に「丹田を意守しなくていい」とお教えいただいた。丹田を意守しなくていいとしたら目はどこに置くか、目は目の中に置くしかない。目を目の中に置くとはとてつもないパワーが湧いてくるものと気が付いた。「見ざる聞かざる」とは自らの中にエネルギーを蓄積させ「言わざる」とはエネルギーの放出を防ぐものだと知った。日常生活で「見ざる・聞かざる・言わざる」を貫けたらと ― 現状、それは私にとってはまだまだ願望の域だ。
気功を始めてから生活の様々な場で私流の気功の練習をしていた。通勤途上はその第一のものだった。近頃は練習をしているとは思えないことが多い。睡眠不足を補い、疲労回復させているだけではないのか。
丹田に意識を置きながら仕事をする習慣を身に付ける努力も心臓問題のショックからしばらく忘れていた。人事異動のお陰で最後の御奉公を強いられる時を迎えようとしたことが丹田を思い出させてくれた。
天人合一、この課題は机上の空論ではあっても私なりにまとめられる。師範養成コースのレポートでは疲れて途中でごまかしてしまった。この一年でまとめようとしたが途中のままになっている。先回の教室で天人合一の話をしたが、やはり感覚ではなく理論として整理しておく必要性を感じた。
これが師範のレポートなのか、と窓辺の桜を見て思う。桜は花としての命は短いが、蕾として過ごす月日の長さを何年か前に知り驚いた。石の上にも3年という歳月を3回重ね終わり、達磨さんの9年も歳月としては過ぎ去った。亀より遅い歩みでも、私は確実に歩んでいたのだ。
人事異動により私のチームがどのような体制になるか。私の残存年数は1年しかない。1年で築けるものではない。予期せぬ人の異動を知った時、確かに私の動揺は大きかった。かつての私ならば頭をフル回転させあらゆる事態を想定して対応策を立てていただろう。だが、今の私は何も考えてはいない。しかし、何も考えない中で、いかなる事態へも対応できるよう準備を整えるためにほぼ毎朝指示してきた。脳味噌のどこかが勝手に考えてくれるようになってきたのだろう。少しは脳味噌肥大症も癒えてきているようだ。
昨年10月から水曜日夜教室を担当させていただいた。2人からスタートし5人になった(今は4人だが)。第一節を教える難しさは同じ思いだったが、パンダ会の経験が当初の状況を支えてくれた。パンダ会は5人からスタートし9人に増えた。9人目を迎えて「もし気功をしたいという人が他に居ても、しばらくはお断りしたい」と会員に告げた。初心者ばかりの段階でポツポツ新しい人が入ってくる状態は指導に苦労した。
入門コース募集で入会された方は、西野式とかなんとかの流派で10年気功をされていたという。初日は練習を始めると緊張が漂い始めたが、2回目からは意識の底には緊張があるが眠ってくれた。本人の意識としては「眠ってない」ようだったが。先月の私の記録にはこのようなものがある。「最初の静功は眠るけど終わりの静功は眠らないと先回言っていたが、今日は両方とも眠ったという」。
会員の一人は仕事の都合でこられても遅いことが多い。まずリラックスだと教えていても、彼女はくるなり真面目に練習を始めてしまう。ある日遊龍功を始めようとしたところに彼女が来た。そこで彼女を真ん中にただ座らせた。終わって皆いつも以上にボートしていた。終わりに気の流れ、またそれは陣取りによって違うことを話した。だが、皆がいい気持ちでボートしていたのはこれだけの要因ではないと思った。仕事に疲れている彼女への皆の心、それを受け止める彼女の心が、一層いい気持ちにさせたのだと。
パンダ会と同様に皆よく眠ってくれる。最近はこんなに眠らせておいていいのだろうかとも時には考えるが、心と体が納得すれば眠らなくなるだろう。その時を待って次のステップへいこうと考えている。
遊龍功も10節までなんとかきた。9節には皆引かれるが難しい。時に笑いを伴いながらの練習となる。気功の練習ではない、小学校1年生の授業となるがそれでいいと思う。笑いながら共に身に付けようとして、心と心の結びつき、ハーモニーを奏でていくだろう。天人合一、人とハモレずして天とはハモレないのだから。
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