中国気功紀行・2002

 

・写真日誌・

 

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今年の養生の旅は、819日から26日の間に行われた。日本、フィリピン、中国からのメンバー31名は、劉永言先生に従って、一指禅功のルーツをたどり、黄河文明発祥の地である中原の大地を踏み込んだ。

 19上海に到着。かつての東方魔都と呼ばれるこの大都会は、この十年間、中国というドラゴンの龍頭として凄まじい発展を遂げ、東京などの現代化都市を凌ぐほど変貌しつつある。夜、飛行機で河南省の省庁所在地鄭州へ移動。

      

 20日、大黄河にたどり着いた。上海とまったく対照的になるもうひとつの中国の風景。観覧ボートの乗り場は、中国初の黄河鉄道大橋の跡に隣接している。すでに廃線となったこの鉄道は、西洋の近代と中国の伝統との格闘の歴史的軌跡ともいえよう。時速80キローの高速ボートで5000年もの文明を流れてきた黄河の上で飛ぶ気持ちは言葉ではなんとも表現し難い。黄河の中洲に登って、メンバーたちは、爆竹を上げ、馬に乗って古戦場を駆けめぐる気分を味わった。午後、少林寺へ行く途中、中原最大の道教寺院「中岳寺」を見学。

     

伝統と近代――黄河が証人

雄大なドラマーの歴史舞台:

劉邦と項羽の二大勢力の境――「楚河・漢界」

 

 

 

 

 

 

幅五千メートルの大黄河

中洲。黄河のメッセージ:森は文明を育み、文明は森を食い尽くして自らも亀裂

3500年もの風雨を耐えてきた版築の土の城壁

――「商城遺跡」

商は夏に継ぎ、中国二番目の王朝で、周に滅ぼされたあと、商の人はよその地に流されて、身分の卑しい商売のことを従事するしか許されなかった。これは、商人ということばの由来でもある。

21日、禅宗の総本山少林寺を見学。主な目的は、初祖達磨、二祖慧可の修行の地を拝謁。少林寺からさらに200メートル高さの険しい山道を登って、達磨洞を参拝し、さらに達磨大師の巨大造像のある太室山の頂上まで上った。上るときは雨の後で道は泥が多く大変滑りやすいが、降りるときに晴れて順調に少林寺に着いた。ほとんどの観光客は麓の少林寺というにぎやかな世界に引きとどめられているが、日本の観光団で頂上まで登ったのは私たちだけと言われた。メンバーは最高齢者78歳。その他、膝の悪い人や心臓病の持病者もいる。

翌日、達磨の弟子――二祖慧可修行の地、少室山をロープウェイで登った。

少林寺自身について、特に報告すべき内容がない。お坊さんを作り出す工場と一大観光市場という率直の感想を得ただけ。達磨洞にある「達磨面影石」は少林寺に移されて観光客の好奇心を満たすものとなっている。結局、禅はこのように、抜け殻として残されて、その形こそあるが魂がない、これは、「達磨面影石」からのメッセージだと思われる。

 

少林寺の麓にある武術学校の生徒の演武

少林寺の近辺、このような武術学校の生徒は総数5万人にも上る。

 

      

  歴代高僧を眠る「塔林」 少林寺の山門前           

 

 

 

 

だるま大師を祭る「初祖庵」


       

だるま大師「九年面壁」する場所――「達磨洞」

この峰から発する「祥雲瑞気」は、「禅」とともに世界へと流れ広げる

禅への道は難しくて険しい。前人の跡に就いて進む

   

 

  無限なる風光は頂上こそにある

 

  

二祖慧可修行の地――少室山へ

     

二祖修行の地――「二祖庵」         禅宗の総本山――嵩山

22日、午後、洛陽へ。中国もっとも古いお寺――白馬寺を見学。印度からお経を背負ってきた白馬は、のちに『西遊記』の中の三蔵法師が乗せた白馬の原型となる。修行の視点から読み解けば、白馬の意義は極めて大きい。次の見学先――「龍馬負図寺」はやはり馬と関係する。伝説によると、黄河から龍馬が現れて、その背中の模様を見て、伏曦氏は八卦を作った。劉先生は、お寺の玄関の外にいったある占い師に占ってもらうことを装って、逆に占い師のことを「占って」、これを通して占いの実技教学を行った。占い師の言葉はすべてはずれたが、逆に自分のことをことごとく先生に読み取られてしまった。

引き続き、老子修行の地、および『周易参同契』の著者魏伯陽の錬丹の場所だと言われた「上清宮」を見学した。霊気がほとんど感じない場所なので、この道観の歴史は疑われる。

 上清宮の後、清朝における中国最大の金融グループの地縁組織――「会館」・現在の民俗博物館を見学。

 

   

龍馬負図寺        易の原型、宇宙・生命の秘密を凝縮する「河図」

 

 

上清宮――その歴史は偽る可能性が大きい

占いとは?「善易者不占」

(易をよくできる者は占わず)

 

 

23日、中国の三大仏教石窟のひとつーー「龍門石窟」を見学。伊河沿いに1352の大小洞窟に、1500余年前から、およそ400年間にわたって作られた10万余体の石仏が並べられている。私たちは、「龍門石窟」の歴史的・文化的価値、及び石を彫る人々の精神を大いに認めてその壮観さに心を打たれる。しかし、修行の角度から見れば、いくら仏像を作っても、やはり「外功」であり、心身の内面の修行――「内功」の代わりにはならない。達磨大師は中原大地にやってきた時代は、ちょうどこのような、みんなが外功ばかり熱中している時代であり、ゆえに内功修行の重要性をいくら説いても梁武帝に理解してもらえなかった。仕方なく達磨大師は長江を渡って嵩山の太室山の洞で壁に向けて座禅を組み、九年間も知音を待ち続けていた。

なぜか龍門石窟と現代中国の風景と奇妙に重ねているように映る。現在、物質の豊かさを求めて高度成長しつつある中国は、あちこち土地が開発されビールを建て、マイホームのマンションを買うことがブームになっている。昔のひとも同じのような感じで山を買って洞を掘り仏像を作ったのではないか。仏像を作ることは来世へのご利益の願いを込めたもので、不動産のブームはもっぱら現世の幸せのみを目的とする。石仏とマンション、これは、来世と現世、精神と物質という目的意識の違いこそあるが、外在のこと、形のあること、つまり外功のみ求めて、心身内面の修行=内功を落とされている点には共通している。

午後、観光列車で華山へ。

夜、華山の麓で一指禅功の講義と練功を行った。

   

龍門石窟

                       桃源郷

     

観光列車

     

一指禅功の講義と練功――華山の麓にて

                      

 

 

824日、天下第一険しい山と言われる華山に登る。その日にバスで西安へ。

左図は海抜2000余メートルの西峰。陳希夷や全真七子の郝大通などの高道(仏教の達人は高僧といい、道家修行の達人は高道という)はその西の峰で修行した。


 

華山の北峰

 

   ロープウェイ

華山の霊気に包まれて

 

 

法 門 寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

825日、西安。国宝法門寺へ見学。世界一の仏指舎利子を参拝。本殿には、東西南北中の五つの仏像が祭られた。そのうち、南方仏はどこの仏像にも見られない一指禅の手印を結んでいる。南は火の方角で、火は土を生かす。一指禅功は脾土をもとにする功法であることを示す。その故に一指禅功の歴代宗師は南へ下っている。               

午後、陝西省博物館を見学。さすか2000余年も中国の中心舞台でその収蔵品は北京の故宮博物館を凌ぐ。唐にいたるまでの時代は輝いたが、それ以降の時代の展示物は急に貧弱になった。

 

秦の馬車

 

夜、いつもの癒しコースの後、ホテルのカラオケ大ホールを貸切して、お別れのパーティを行い、深夜2時まで歌って踊った。

826日、午前、自由行動のタイマーで、秦の兵馬俑への見学と空海大師修行の地の青龍寺へ参拝するという二グループに分けた。残りの人は漢方薬局に寄り劉先生処方

の漢方を買った。午後、1505、西安から成田へ。

     お別れパーティ

                    

唐時代の華やかな舞踊