中国気功紀行 2005

 

・廖赤陽・

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無為気功養生会 養生之旅 第15回 中国山東省 東岳泰山へ

 

最初の無駄話

 

8月14日、養生会の関係メンバー20名、中国山東省へ。最年少者のしゅう君は6才。一回目の養生之旅は、1991年、北京中華進修学院訪問の旅だった。1996年から、サースがはやった年を除いて毎年旅が続けられて、今年に至って、遂に11回目を迎えた。

旅行先の山東省の見所は、四つある。

1、山:中国の東・西・南・北・真中に位置する五つの霊山を合わせて「五岳」という。そのうち、東岳泰山は五岳の長である。

2.泉:泰山の霊気は済南に注ぎ込み、天下第一泉が湧き出す泉の都となった。

3.海:中国の東の端、秦の始皇帝の時代に不老不死の仙薬を求めて徐福は海を渡り、その辿り着いた地は日本。二千年にわたる日中交流史絵巻の始まりである。

4.人:東アジアの教育・文化と道徳倫理の礎を築いた聖人――孔子のふるさと。

三つの世界文化遺産:泰山、曲阜、岱廟(泰山の神を祭るお寺)

 

旅の時間

 

814日から21日。節分からいえば、「立秋」と「処暑」の間。この時期の養生について、基本から少し説明してみよう。

【節分】

立秋立秋の時に、北斗星は西南方向に指し、太陽の黄経は135度に位置する。今年の立秋は87日であった。「秋」という字は禾+火で構成される。稲が成熟し始めることを意味する。その日から、気温は相変わらず暑いが、さわやかな涼しい風が吹き始める。いわゆる「立秋の三候」とは、「一候にして涼風が至り、二候にして白露を生じ、三候にして寒蝉が鳴く」。つまり、立秋の涼しい風が吹き始めてから、大地は朝から霧に包まれ、この秋の陰気を感じ取って寒蝉も鳴き始める。この日から、陽気はもはやその勢いを失い、陰気がますます増強する。

 陰気が下った結果、万物は収蔵の段階に入る。養生はこの季節の陰陽の気の変化に従うべきなのである。「それ四時陰陽は、万物の根本なり、所以に聖人は春夏には陽を養い、秋冬は陰を養う。以ってその根に従い、所以に万物とともに生長の門に沈浮する」(『素問・四気調神大論』)。

 立秋になっても、気温は相変わらず暑い。ただし、夏ほど湿気が多くない。なぜなら、秋の気候の特色は乾燥である。中医学の蔵象理論によれば、立秋の後、肺気は最も盛んになる。肺は五行でいえば金に属し、その性質は「燥」である。肺は感情の面で「悲」と「憂」に属す。これらの感情にとらわれすぎると、肺の機能が弱くなる。故に、秋には心を広げて、「天は高く、風は爽やか」という自然気候にふさわしい精神状態を保つことが重要である。なお、五行の循環関係から見れば、秋には肝臓(木)、心臓(火)、脾と胃(土)はいずれも弱い状態にあり、これらの生体システムの保養に気をつけなければならない。

 秋になりやすい病気の一つは「陰暑」である。これは、寒気の侵入による高熱と頭痛である。なお、細菌性の下痢になりやすい季節でもある。経絡病で言えば、おもに足の少胆経に属す症状が多い。例えば、熱が出たり寒かったり、口の中が苦い、よくため息をする、胸や脇の痛み、偏頭痛、目じりの痛み、鎖骨の上あたり痛み、下痢、足膝、すねの外側および足の第四つま先の痛みなど。

 秋は栄養を大量補充すべき季節でもある。なぜなら、土(脾と胃)は金(肺)を生むからである。ただし、どんな物を食べるべきか、気をつけなければならない。基本原則として、まず、酸味を多く取り入れ、辛い物を避けるべき。酸味の性質は収斂であり、秋という季節の気の運動特徴に一致している。逆に、辛いものは発散の性質があり、収蔵と言う季節の特色に逆らっている。なお、秋は乾燥の季節であり、人体の「津液」が乾いてしまう。故に「陰を滋養し肺を潤い」べき。例えば、ゴマ、もち米、米、蜂蜜、パイナプル、梨、乳製品などは、胃を養い津液を生み出すものである。お粥も秋に良い食べ物である。

秋の季節のメニュー

二品の薬膳粥を紹介する。

1、 生地粥

材料:生地黄25g,お米75g,砂糖少々。

調理法:地黄をきれいに洗って細かく切り、適量の水を入れて30分煎じ、その汁を取り出す。もう一回水に入れて煎じる。二回煎じて取り出した汁は合わせておよそ100ミリリットル位。米を白粥に仕上げる。熱いうちに地黄の汁を入れて、砂糖少々入れて、仕上がり。

効果:陰を滋養し、胃を補う。血を涼しく津液を生み出す。肺結核および糖尿病の患者ための薬膳にもなる。

 

2.百合銀耳蓮子粥

材料:ゆり20g,銀耳40g,蓮の実15g,80g,氷砂糖少々。

調理法:材料を合わせて粥にする。粥が出来上がったら適量の氷砂糖を入れて仕上げる。

米を除いて、ゆり、銀耳、蓮の実で作る甘いスープに変えることも出来る。

効果:ゆりは「肺を潤い、咳止め」、「清心・安神」。銀耳は肺を潤い津液を生み出す、「養胃」・「提神」。蓮の実は「健脾」と下痢止め、玄米は「補中益気」、「健脾」・「益胃」。

処暑

 処暑は今年の823日に当たる。「処」は避ける、終止の意味を持つ。暑さはそろそろ終わることを意味している。いわゆる処暑の三候とは「一候にして鷹は鳥を祭る、二候にして天地粛殺し始め、三候にして禾すなわち登る」、つまり、処暑から、鷹は鳥を大量捕食し始め、引き続き、天地万物は凋落し、さらに、穀物が成熟した。処暑は非常に乾燥している。朝晩の温度の差が大きい。咳はよく出るが痰が出ない、唾液が少なく口が渇く。手の平や足の裏に熱が出る。気管支炎、肺結核など、肺経に関わる病気になりやすい。飲食の注意点は立秋と同じ、野菜や果物など水分を補充する物をより多く取り入れて、蜂蜜、百合、蓮の実など、肺に良い物を食べるとよい。

処暑の野菜一品

ゴマほうれん草

材料:ほうれん草500g,熟ゴマ15g,塩、ごま油少々。

料理法:ほうれん草をお湯の中にさっと入れて、すぐ取り出し、水に入れる。冷やしてから出して水分を搾り出し、食べやすい長さで切って皿に載せて、塩(あるいは醤油、その他のだし)、ゴマ油適量入れて混ぜる、最後、ゴマをかけて完成。

効果:「肝を補い、腎を益す」、「胸を開き、燥を潤す」

 

旅の空間

 

地理と歴史・文化

山東省は黄河の下流に位置し、黄海、渤海に面している。春秋戦国の時代は、斉と魯の地であり、ゆえに現在山東省の略称は魯である。歴史的に、この地域は文化と経済が発達している。春秋戦国時代の著名な思想家管仲、儒家の代表人物の孔子、平和主義者で墨家の代表人物の墨子(現在もよく使われている「墨守」という言葉の出典は墨子)、兵家の代表人物孫子(武田家の軍旗に書かれた「風林火山」という言葉は孫子兵法からの引用)、その時代の最高の技術者だった魯班=公輸般(「身の程知らず」という言葉の出典)などはいずれもこの地域の出身であった。経済・文化のいずれも遅れており、西の端の辺鄙の地に位置する秦が、最終的に六国を滅ぼし中国を統一できたのも、山東省出身の政治家、法家の代表人物商(革央)を受け入れて、その改革政策を断行したからである。

現在の山東省の人口は一億を超え、全国的に経済発展の進んでいる地域に属す。山東省は東側の半島、中部、および西南部、という三つの地域に分けられる。半島地域は、青島、煙台、威海、という三つの都市を抱え、経済的に最も進んでいる地域であり、(山労)という道教の聖地もここにある。中部は泰山、孔子のふるさとの曲阜、凧のふるさとの、古戦場の淄博、および省庁所在地の済南など、歴史・文化と民俗で織り成す地域であった。西南部は最も遅れている地域であるが、水滸伝の英雄たちが集まる梁山泊はここにある。今回は、西南部を除けば、山東省の主要部を一周回ってきた。

山東省の料理は魯菜と呼ばれて、中国の八大料理の一つに数えられる。北方料理の代表の一つで、北京料理のベースでもある。揚子江の南と異なって、麦・トウモロコシ、粟などが主食である。

日中関係

2000年前、徐福は不老不死の仙薬を求めて日本に渡り、近代、清の北洋艦隊は最終的に威海という軍港に覆滅し、日清戦争における清の敗北を告げた。なぜ敗れたか、その答えを求めるために第一次中国学生の日本留学ブームが始まった。旅順大虐殺、済南惨案など、旧日本軍はその地に数多くの暴行を繰り広げた。1980年代以降、山東省には多くの日本企業が投資し(現在、この地域における韓国企業と文化の影響が大きい)、一時期は、日本向けに長ネギ、野菜などを輸出する基地でもあった。これをめぐって展開された「毒菜」騒動は、新たな歴史状況における日中貿易摩擦だけに止まらず、むしろ日本国内における農水族と通産族の利益衝突(日本の農家と野菜の輸出元・中国進出の日本企業)、ならびに広域の東アジア経済圏の構築のあり方など、多くの問題に示唆を与えている。そして、曲阜で行われる孔子祭りは、この何年間か、儒教文化圏にかかわる国1と地域が多くの代表団を送り込み、新たな「伝統創造」(英語には、作り上げ、再編、でっち上げなど、複数の意味を持つ)と共に、東アジア地域文化圏にひとつの歴史的根拠を提示しよとしている。一言でいえば、山東省は、2千年の交流、50年の戦争、60年の平和、という形で展開する日中関係の縮図でもあろう。

八卦と方角

八卦の方角で言えば、この地は「震」卦に属す。日本も震卦に属している。山東省にはあまり地震がないが、卦の属性から言えば、日本と同じく、地震と台風が多い東と東南方角にある。東に位置するゆえに、五行では「木」に属す。一面の大平野は緑に覆われて、その気は上る性質である。泉が多く、水は木を生かす。ところで、水はどこから来たのか。五行相生の原理によれば、金は水を生む。金とは、地下資源などを含めている。山東省は、玉の産地である。また、泰山を見ればわかるが、巨大な石灰岩で出来ている。これらは、いずれも金に属している。玉や岩などは、水分を吸収できない故に地面に湧き出す。

物産と五行

山東省は北方の気候で、南方と比べて、乾燥している。天気は乾燥しているなら、地気はこれを補って潤う性格を持つ。陰陽の気はこのように対立しながら一つの均衡が成り立つのである。地気の現われの一つは農作物であるが、例えば、山東省は、水蜜桃、梨、大根などが有名。いずれも水分が多く含まれる果物である。これと対照的に、東南アジアに行けば、湿気が多く、故に果物は熱性の物が多い。例えば、ドリアンなど、食べ過ぎると便秘になるような果物が殆どで、湿気が多い地方の果物は、大体こうした水分をよく吸収するものが多い。

食べ物に関して、もう一つ重要なポイントは五行と五臓の関係である。山東省の大根を例にして、皮は青く中身は白い。皮だけむいて醤油で浅漬けして食べれば、リンゴより甘いといわれている。しかし、その大根の中身はものすごく辛い。青い皮は木(五臓では肝)に属し、白い中身は金(五臓では肺)に属す。金は木を克、故に皮と中身の五行は相克関係になっている。旅行の後、私は北京に行ったが、北京には、「心里美」と名付けられた大根がある。これは、青い皮で中身が赤い大根である。赤は火(五臓は心)に属し、木は火を生み出す、故に相生関係にあり、調和された甘みがする。たとえ空腹で食べても胃には何の違和感もない。

果物に関して、もう一つの例を見てみる。新疆のトルファン盆地は、葡萄の産地として有名である。温度の差が激しく昼と夜は40度の開きもあるという。葡萄の色は赤、紫、青など、いろいろあるが、青い葡萄が最も良い。なぜなら、葡萄は補血、心気を補う作用があり、心・血の系統は、火に属している。青は木に属し、木は火を生み出す、相生関係である。山東省に戻るが、地元の特産としての梨は、皮が白い物と黄色の物との二種類ある。そのうち、黄色い皮の梨が良い。梨の中身は白で肺には良い、黄色は土に属し、土は金を生むからである。

漢方の仕組み

梨は肺に良いが、ただし、食べ過ぎると体が浮腫んでしまう。なぜなら、梨の性は涼であり、食べ過ぎると肺が冷え込んでしまう。肺の機能は「宣化」・「粛降」・「通調水道」の三つである。その機能は弱くなると、体内の水分の降下と排出が出来なくなり、むくんでしまう。

むくんでしまう場合、ショウガの皮と黒砂糖をスープにして飲むといい。ショウガの皮は温めるだけではなく、「利水」の効果があり、黒砂糖は「暖胃」・「健脾」の効果がある。

食べ物に関する眼力と味覚

気功の練習は単に養生の一環に過ぎない。食べ物は養生のもう一つの重要な方面である。旅の途中、生のエビを食べて何人もがお腹を壊した「事件」が起きた。そのことを通して、劉先生はなぜ出された料理の質にそれほど神経を使うのかを理解できる。何を食べればよいか、養生学では、天地陰陽の気、五行相生相克の関係、五臓の気の相互関係から総合的に捉えている。食の養生は、西洋の栄養学と比べて、はるかに難しい学問になるが、旅にあったいくつかの具体のケースを通して、ある程度感性を以ってこの基本原理を理解できると思われる。今後、さらに、五味(甘い、酸っぱい、辛い、塩辛、苦い)と四性(温、平、涼、熱)の関係を、具体のケースを通して学べば、自然に身につけることが出来ると思われる。

歴史学者の迷信話

食べ物の話から、旅の空間をスケールの大きな歴史に移そう。中国の自然理は、『黄帝内経』に書かれたように、「天は西北に満たず、地は東南に満たず」。西の方は、天山、崑崙山およびヒマラヤ山という三つの大きな山脈がそびえている所以に、天は足りないように見える。東南は川や湖が多い所以に、地は足りないように見える。西北の山脈から流れる水は東南方に向けて、黄河や揚子江のような大きな川になって東の海に注ぐ。全体の気脈も西北から東南へと流れる。こうした気脈の流れは、歴史的に経済・政治・文化ないし軍事に影響を与えている。例えば、西北(=金)には豊かの資源を持っているが、この資源は東南沿海の発展を支え、東部は経済発展の地域となり、西部は発展に遅れた地域となっている。現在の国家発展戦略としての西部大開発はこうした格差を縮小することを図っている。政治と軍事の面から見ても、西から東へ、北から南へと流れていく。西の辺鄙の地にある後進国の秦は東の先進国である斉・魯などを滅ぼして天下を統一したことは先ほど話した。歴史的に、中国の政治軍事中心、あるいは政治権力は、一貫して西から東へ、北から南へ下る。逆に、南の政権による北伐が成功したことは稀である。唯一の例外は、孫文逝去したあとの国民党政府による北伐で、これも南京までにとどまって、名前だけの統一を遂げただけであった。共産党政権はもともと南の江西省に根拠地を作っているが、万里の長征を経て北に大移動し、抗日戦争を経て、最終的に、東北全土を制圧し、そこから大軍を南下して国民党政権を一掃して台湾を除く全国を統一したわけである。

人の移動も同様の傾向に見られる。あらゆる方向の移動が見られたが、東南方角に位置する台湾は国内移民の最後の地となる。引き続き、東南アジアは主な海外移民先となる。風水の視点から見ると、住居の東南方に水があることは吉とされる。なぜなら、川は西北から東南に流れるからである。それ故に、水の東南に住居を構えると、その流れで住む土地は削られてますます狭くなる。逆に、水の西北に住むと、衝積平野が自然に形成され住居と耕地の面積も次第に拡大されていく。

中間まとめの余計な話

世間話のように、山東省という話題を借りて、節分のことや、飲食、歴史、地理、政治、経済、地域関係など、越境しながら流れてきた。ここで、本当に言いたいのは、養生は単に健康法のような純粋な問題ではない、ということである。体と心のバランス、これは気功健康法の中心である。ただし、いわゆる心身の関係は、内部環境に属す。歴史、政治、経済、社会、各地の風土・人情・物産、人々の日常の暮らしなど、これらは外部環境である。内外の環境は絶えずに影響し合っている。時には激しいぶつかり合う状況にもなる。この内外諸環境をホリスティックの視点で捉え、静態ではなく動態の中に均衡の最適の状態を求めて絶えずに調整していくことが、養生なのである。

難しいようであるが、実は簡単である。社会、歴史、経済、健康、飲食、漢方、地理、気候など、「事」は異なるが、「理」は異ならず。なぜなら、世界は一つ、宇宙も一つ、故に一つの原理を以って全ての事を解くことが出来る。

 

旅日誌

 

814 成田から青島へ。10:40分青島空港到着、劉先生は空港で皆を迎える。車で10分、快通大酒店のレストランで食事。

東洋のスイスと呼ばれた青島は、山東半島の東南に位置する。全市面積は10654キロ平方、人口695万、都市部人口227万。華東地区において、上海に次ぐ第二の経済センター。青島ビールは有名。旅の期間、ちょうど青島祭りが開催されていた。午後の青島観光:小魚山公園、市街地、大桟橋。ヨーロッパ風の建物が多く残されている。泊まるホテル:青島海洋大学賓館。

餃子の具 夕食には歯ごたえのある手伸び万頭、そして餃子が特色。

餃子の具はさまざまあるが、豚肉と万能ねぎの具が気功の練習者にとって最もよい。「葱補丹田麦補脾」ということわざがあり、つまり、万能ねぎは丹田の気を補う。肺は気を司る。そして麦は脾・胃を補う。脾は土で肺は金、相生関係になる。万能ねぎの代わりに長ネギはどうか、これはだめである。なぜなら、万能ねぎの中は空洞状態であるため、気がよく通る。長ネギは気が通らない。漢方の原理はいかにも単純でわかりやすい。

「寝るものを食べるか、立つ物を食べるか」 野生の山菜が出た。藤のつるのように伸びる野菜には、横で伸びる枝もあれば(寝る)、上に上る枝もある(立つ)。その場合は、立つ物を食べるべきである。なぜなら、寝るものは陰気が強く、養分は実に送られるために枝や葉には栄養がない。例えば、サツマイモの葉は野菜として食べられるが、地に這って伸びる枝の養分は芋に送らてしまう。これに対し、立つ物は実らないため、養分は枝や葉に残されている。焼き物にも立つと寝る二種類がある。北京鴨は立って焼かれる(フックにかけられて丸焼き)。広東子豚の丸焼きは寝て焼く。日本の焼き鳥も寝て焼く。棒で立って魚を焼くこともある。陰陽の摂理に基づいて、それぞれの違いを自分で考えてみよ。答えは内緒。

夜は劉先生の治療と練功。

 

815 青島―山―済南

山は黄海に面し、高さ1133メートル。古くから「神仙宅」と呼ばれて、道教の一大聖地である。崂山の清水が有名。残念なことに麓にとどまり山を登ることが出来なかった。

山に見る五行 いわゆる名山は必ず五行をそろえており、しかもバランスが取れている。金は地下資源、木は森や植物、水は泉、土は山地、火は廟・寺院・道観、そして訪ねた人々。

昼食:唐家大院子。宿泊:富華酒店、夕食、同ホテル。しゅう君の誕生日パーティを開く。夜、「晴れるや、雨降るや」という変わった歌大会で騒ぎながら治療を開始、その後練功。

劉先生からのコメントは二つ

1.「意守丹田」など、特定の意識を持って練習する必要がなくなった。

2.改めで形=姿勢の正しさの重要性を強調。「形不正、気不順」(形が正しくなければ、気の流れもスムーズに行かない)。

 

816 朝の治療を経て、済南から曲阜へ。8:50出発、12:30曲阜に着く。

孔府と同じ中軸線に位置する闕里賓館に泊まる。清らかな感じがする。正面に孔子の像がある。出歯で長身、腰足が短い。史記の孔子伝には、孔子の体貌について詳しく記してある。古代の数々の聖人の体の欠陥を一身に集める。悪い人相のきわまりはよい人相に転ずる。おそらく、その所以に先輩の聖人たちの徳も一身に集まっているだろう。昼食は、ショーを見ながら、孔子の家庭宴会料理を楽しむ。酒は「孔府家酒」。

午後、孔子廟(伝統の大学の総本山・中国三大宮殿のひとつ)、孔府(孔子の直系子孫が代々暮らしている邸宅)、孔林(孔子一族の巨大な霊園)

孔子のお墓の風水 通常、左は青龍、右は白虎、後ろは玄武、前は朱雀、中間はキリン、という地形はよい風水の地とされている。しかし、孔子の墓は何の変哲もなく一面の平野に立てられている。伝説には、孔子がなくなった後、弟子たちが先生の墓地を探し始めた。ついに一箇所のすばらしい龍穴が見つかった。しかし、弟子の中の賢い人はここで墓を立てることを強く反対した。理由はこうであった。「この龍穴は、帝を生み出す場所である。しかし、わが師は千古の帝王の師であり、帝以上の永遠の存在であった」。こうして、あえて龍穴を選ばず、今の地を選んだ。選ばれなかった龍穴はのちに漢王朝の開祖劉邦の祖先の墓となったという。

孔子の子孫はおよそ平凡であった。にもかかわらず、中華民国の時代までに代々公爵の位が受け継がれて、国教の祖=孔子の名のもとに、これ以上ない栄光を受け続けている。一族の後裔に偉大な人物を生み出す墓の風水か良いか、それとも孔子のような墓の風水が良いか。風水の原理は凡人のみ適用し、孔子のような聖人にはかなわないようである。

 

817 曲阜―泰安-泰山

まずたどり着くのは泰山のふもとの町――泰安。岱廟を見学。曲阜の孔子廟、北京の紫禁城と同格で、中国三大宮殿の一つ。岱廟は泰山の山神祭る廟宇で、八門があり、正面五つの門、「五福臨門」を象徴し、左右それぞれに門一つ、後門一つ、その下にお坊さんが移った経文が埋められている。天安門と同じ規格であった。廟内、2000年の樹齢の柏木と名人の碑刻が多く残されて、岱廟の正殿の壁に、泰山の神の巡遊の壁画が描かれている。

柏木という樹木 寺院には多く植えられている。柏木のある庭に入ると、清らかな気が心臓の奥までしみこんで気持ちが落ち着く。なぜなら、漢方では、柏木の実は「安神補心」の薬であり、その葉は止血の薬であった。庭には、かなりの柏木が枯れているが、これは、2000年の歳月を経て柏木が地気を吸い続けて、地気が枯渇しているからである。この地気を補うのは、雨ではなく雹である。雨はすぐ流れてしまうのに対し、雹は少しずつ溶けていくからである。

午後、真珠館の見学を経て、泰山を登る直前、前の晩に晴れるや雨降るや、と騒いだせいか、土砂降りになった。このままでは泰山が登れない。運がよく雨は長く続かなかった。登ることを決行。長さ2000メートルを超え、垂直700メートルのロープウェイに乗って泰山に登り、その後、霧に包まれて、登り道40分、南天門にたどり着く。神憩賓館に着く。夕食、木魚石の急須に「酒神」というローカルの酒入れって飲む。

木に見えるが実は石――木魚石 木の模様をしている石である。泰山あたりの特産。漢方の権威著作、明の『本草綱目』にはこの薬用効果を高く評価している。現代、中国国家プロジェクトの研究によると、人体によい26種類もの元素を含めている。真夏でも、水を入れて二週間は腐らないという。劉先生のお勧めで、皆がこれを買った。使い道:お茶、お水、食品の保存、お風呂に入れるなど。

夜、いつもの治療。

杜甫の詩

望嶽   杜 甫
 岱宗夫如何、斉魯青未了。
 造化鍾神秀、陰陽割昏暁。
 盪胸生曽雲、決眥入帰鳥。
 会当凌絶頂、一覧衆山小。

 岱宗 夫れ如何、斉魯 青未 だ了わらず。
 造化 神秀を鍾め、陰陽 昏 暁を割く。
 胸を盪かして 曽雲生じ、眥 を決して 帰鳥入る。
 会ず当に 絶頂を凌ぎ、一覧 して 衆山を小とすべし。

【通釈】
 泰山とは、そもそもいかなる山か、斉・魯の国にまたがり、山の青さは尽きることがない。

天地創造の造物主が、比類無き霊妙を集め、陰陽の二つの気が、朝と夜を割っている。

 我が胸を動かすように、雲が生じ、目を開けば、ねぐらに帰る鳥が山の彼方に吸い込まれる。

 いつの日か、必ずこの山の絶頂をきわめ、周囲の山々を一望に見渡し、見おろすことにしたいものだ。

 

818 泰山―済南

4:30モーニングコール。吹き飛ばされそうな風と凍りつく寒さの中で、日観峰に向けて日の出を見ようとしている。ついに太陽に恵まれなかった。最高点は1500メートルの玉皇頂、頂上はガイドさんも知らない井戸があり、この井戸の水は済南の大名湖につながる、と劉先生がいう。何人かメンバーは命がけでこの井戸を見つけて、証拠写真も撮った。朝ご飯の後、紫霞祠を見学。泰山の女神を祭ってある。

山を下りる途中、大風のため、ロープウェイがストップ。その再開を待つ間、ホテルで待機。無事に山を降りた。

 午後、天下第一泉といわれた済南の趵突泉、および大名湖を見学。趵突泉は観客によって汚染されている。大名湖には蓮の花がいっぱい咲いて、さすが気持ちのよい場所である。泊まり:富華飯店。夕食、餃子宴。治療、癒す。

 

819 済南――濰坊ーー蓬莱。

濰坊は凧の郷。楊家阜という民居に見学。手作りの凧や年画(正月に飾る色鮮やかな版画)が有名。工場を見学。風が涼しく、広大の敷地にはレンガ作りの農家の庭園が点在し、いたるところに瓢箪や蓮の花が咲いている。PM5:00蓬莱閣荷到着。中国の北方における海洋文化を代表する地であった。運がよければ蜃気楼が見える。伝説の中の八の仙人はここより海を飛び越えた。媽祖(天后)という南の福建出身の海難救助の女神もここで祭られている。日本では、媽祖廟は沖縄、九州を中心に、東北まで立てられているが、蓬莱閣の媽祖伝説は、南の媽祖伝説とかなり異なっている。なお、中国大陸南部、台湾、東南アジア、日本各地の媽祖廟には、媽祖の前に立っているのは順風耳と千里眼であるが、蓬莱閣の媽祖の周りに立っているのは仕女であった。

蓬莱閣は昔から、海に面した軍事要塞でもあった。戦国末期、斉の壮士田横は500名の仲間を連れて、このあたりで秦に最後の抵抗を行い壮絶の死を遂げた。明の時代、ここは倭寇の侵入を防ぐための要塞であった。なお、東の端に位置するため、扶桑(日本)の日の出を見られるといわれる塔も建てられている。事実上、船の航行の標識を機能している。泊まり:海に近く蓬莱閣ホテル。

 

820 蓬莱閣――青島空港

日程を調整し、半日蓬莱閣でのんびりすることにした。8:00-10:00、治療と講義。

この後、自由行動。11:00-12:00、日積山に向けて、渤海と黄海の境目を見に行った。二つの海は色ではっきり分かれている。公園では、軍事用地立ち入り禁止という古い看板が立っているが、禁止区域の海にボードやサーフィンを楽しむ人々がいっぱい。時代は変わった。

12:00昼食、1:30、青島空港へ。

 

 

 

旅の面白い話

 

名和ちゃんより

いろいろ面白いことがありましたよね~

 

1 泰山にて

朝4時起き!なんて、普通じゃ考えられないそのまま御来光を見に頂上へ。もちろん、足はぜんぜん前に進まない(起きてない?いえいえ、前日の疲れが)。ところが、頂上についたら、俄然、元気になってしまったのは何故?頂上近く、寺院裏の謎の井戸を見に行った際には、私、思わず走っておりました、霧の中を。霊山の霊験、恐るべし!

ちなみに、泰山頂上の御来光観賞広場から先に十数メートル行くと、絶好のポイントがあって、そこの冷気(霊気?)は抜群でした(赤陽先生も体験済み~)。

 

2 老木

旅の間、古びた木(樹齢ン百年!)を見つけると、そばに張り付いて、元気をもらってました。不思議なもので、老木の周りをくるりと巡ると、必ず、「おー、ここ気持ちっええ~」という場所があって、そこに立っていると、あったかくなったもんです。

 

3 子ども

旅の間中、カイとシュウ(木下海生くん・宗くん)と、ずーっと?一緒にいたんだけど、あの子らの元気は、一体どこからくるんだろう?そういえば、自分が彼らと同じ頃(随分と昔)、親父の友人たちと山登りをした時に、山道を走り回る自分を見て、その友人が「子どもは元気でいいなあ」と、しみじみ言っていたことを、ふと思い出した。自分も、すっかりそんなこと言う年頃になってしまいましたとさ。

 

4 ダイエット!?

旅行に行く前、夏バテだか何やらで、うどんしか食べられず、4kg痩せた私。行きの飛行機で出た機内食の「焼き鳥丼」が、2ヶ月?ぶりの「お肉」。ところが、中華料理は、お腹に合うのか、旅行中、人並みに食べて、特にお腹も壊さず、無事帰国。さて、これは、体重も大分戻ったに違いないと、帰ってから体重計に乗るとまた1kg減っている。何故??日本で仕事してる毎日より、ぜーんぜん、楽チンだったのに~(旅行中、体調良かったんだよ~毎日、朝晩、劉センセイに「気」を入れてもらってたし)

 

5 童心

帰る前日、自由時間に、「パンダ」ご夫婦と海辺の散歩~。桟橋で釣りする爺と娘を見つけた「パンダ」夫人。娘を拝み倒して釣竿借りると、おもむろに海原へ糸をポチャリ。待つこと数分糸引く竿をえいっとばかりに引き上げれば、見事、ピチピチはねるお魚一匹。その勇姿は、しっかり「パンダ」ご主人の手で、カメラに収められましたとさ(「パンダ」夫人、日本一の笑顔!)。

 

まだまだ、いろいろありましたねぇ

劉先生のまか不思議!とか、毎朝早起きして皆が知らないうちに街を探検していた小坂ご夫妻とか、何でも出てくる小野田さんの魔法のスーツケースとか、カイ、中国でケンタ(KFC)に行く!とか

 

また、旅行したいですね、一緒に!(なわ)

たかすちゃんより

治療のために本部に通っていらしたドップリ暗い感じのKさんが奥様と共に旅に参加されました。旅の途中でKさんは癌の手術を受けられた後に先生方の治療を受けるようになったことを知り、その暗さを納得しました。このKさんが、旅の初日だったでしょうか、冗談をおっしゃり明るく笑われ、以後旅の終わりまで明るく過ごされていた事が、シュウ君とカイ君の参加に並び、今回の旅を素晴らしいものにしてくれたと私の心に強く残っています。

重い脳障害のシュウ君とお兄ちゃんのカイ君の参加。ママはシュウ君に付きっ切り。参加者の中にはカイ君お守で大変だった方もいらしたかとも思います。でも旅は楽しいものだった。これは2人を包む先生方、会員その他の方々の心の温かさだったのでしょう。

残念ながら天候にはあまり恵まれない旅でしたが、それはそれでまたいいもの。好天では撮れない楽しい写真がとれました。(たかす)

かんのちゃんより

〇私たちが写真を撮らせていただく度に、深くお辞儀をしながら「ありがとうございます」と仰っていた劉先生が、どの時点からか「おはようございます」と仰るようになり、そこに「ありがとうございます」と返すの  も訂正するようなので、私も(夜の九時過ぎだったりするのですが) 「おはようございます」と言っていました。最終日にホテルを出発する頃には「ありがとうございます」に戻っていてなんとなくホッとしました。 

〇済南で、湖のたくさんある公園に行ったときのこと、自由行動の後の集合場所になった大きな池の隣に、少し小ぶりな池がありました。萃萃先生が、池の底から細かな泡が立ちのぼって水の湧いてくる 様子が見られるのを教えてくださって、岩波(父)さんが写真を撮ってくれました。とてもきれいな光景でしたが、いつどこから湧いてくるかわからない泡に手こずって、ふり向いたらついさっきまでいた皆が誰もいません。見事にはぐれました。しかもこの三人は、西安でも迷子になったいわくつきの顔ぶれ。今回はガイドさんの携帯(?)に連絡してすぐに合流できました。養生の旅も携帯電話でずいぶん便利になりました。

〇真珠のお店の店員さんが「中国人ですか?」と聞くので「日本人です」と言うと、「中国人もいますね」「そうですね」「大陸の人ですか。台湾の人はいますか?」「皆さん大陸の方だと思いますけど?」

「そうですか」。同じようなことをもう一人に聞かれたので、「日本人と中国人、一緒に旅行するの珍しいですか?」と聞くと笑っていました。帰国してから萃萃先生に同じことを聞くと「買い物のときには中  

国人は邪魔でしょうね。相場を知っているから」と言われ、なるほどと  思いました。確かに旅行中買い物をしていると、萃萃先生が「〇〇元にならなかったら買わなくていいよ」と相場を教えてくださった 

ので、ずいぶん助かったものです。

 

〇早朝泰山の日観峰に登ったとき、あまりの寒さに何か温かいものを食べようということになりました。皆で刀削麺を頼み、厨房を覗くと器にビニール袋を敷いて、その上に調味料を入れ、ゆで汁をはった

中に麺を取り分けていました。取り皿にも同じようにビニール袋がかぶせてありました。お皿を洗う水の節約のためらしく、印象的でした。

 

〇小魚山(だったと思うのですが)で「新版」の地図を手に入れた赤陽先生と岩波(父)さんは、海辺で明らかにそれより新しい地図を見つけ、2枚6元で手に入れました。そこへ名和さんがやってきて地

図に興味を示すと、赤陽先生が、自分たちに地図を売ったおばさんに、「自分たちは26元で、彼は1枚だから10元だ」と言っていたそうです(岩波父訳)。地図を売っていたおばさんも笑ってました。

 

小話のようなものしか思いつかなくてすみません。(かんの)  

 

Omura君より

 印象に残ったことは、旅も終わり帰国する日の朝にホテルのロビーで劉先生がお話になったことでした。

 「私は五十数年間この気功(一指禅功)をやり続けています。この方法(站椿功)は目を鍛える練習であります。一指禅功は病気やケガで困っている方たちを目で治すことが出来、その効果はとても優れたものであります。みなさんもこれから、できれば毎日2回練習をして下さい。そうすれば必ず成功することができます。そして、もし私が生きていれば必ず来年も会うことができるでしょう。」という今回の旅をしめくくるお話でした。(大村行広)

 

くるみちゃんより

 寒がりの私は、長袖着用にウィンドブレーカー持参でバスの冷房対策に備えた。それでも寒いなーと思う事もあったほどだが、比較的寒がりと思われる同じ列にいた渡辺さん(練習のときも脇に長袖準備してたりするし)がほとんど半袖姿だった!前の席は劉先生…。

 

 ある朝、しゅうしゅうのお母さんの顔を見たときにきりっとさっぱりしてるなと思ったのでそう言ったところ、昨日治療してもらったのこと。それ以来なんかかわいくみえるんだけど…。

 

 同じような話だけど、旅行の写真を見てもやっぱり思った事だけど、菅野さんは笑顔が素敵に、きれいになったなー。沖くるみ)

 

二人の小坂ちゃんより

劉永言先生、廖萃萃先生、廖赤陽先生、養生の旅を元気で過ごすことが出来まして 有難うございました。

 

始めて目にする中国の広さ、全てのスケールの大きさ、歴史の重さ、人々の早朝から働く姿、食事の種類など、大きな国の一部分でしたが驚くことばかりでした。

 

 聖山 泰山で南天門からの景色、霊気の清々しさ、楊家の凧、版画の手作りの種類や色、庭の気持ちの良い木、訪れた所全てが良い思い出と驚きでした。

(小坂光雄 裕子)