2004年養生の旅
(廖赤陽 2004年8月25日)
期間:8月14日から22日
参加者:無為気功養生会関係者17名、厦門から洪さん、ろさん、劉先生と息子の若先生。合計21名。年齢:21歳から82歳。
日誌:
一日目(8月14日)成田空港集合、CA452便、9:30分発、北京経由成都へ。およそ三時間の飛行で北京着。さらに2時間の飛行で、秦嶺山脈と黄河の上空を越え、およそ1700キロの空中の旅を経て、北京から成都へ。
四川省の面積は日本に相当し、現在の人口はおよそ9千万。四川盆地にある成都は四川省の省都であり、同地は、古くから蜀の国の都として栄えてきた。三国の時代、劉備玄徳が創立した「蜀漢」という国の都である。中国西南地区における科学技術、商業貿易、金融、交通、通信の中心地である。面積は1万2400km2で、人口は960万人。内市街地人口は300万人。
空港に着いたとき、気温は32度、天気は晴れているが、ホテルに向かう途中、急に土砂降りになって、ホテルに着いたときに、雨はすでに止んだ。宿泊は新蜀聯大酒店。夕食はレストランで、地元の庶民が日常的に食べている辛さの加減のない四川料理を味わった(高山ボケ後遺症で、レストランの名前は最初から覚えてない)。
二日目(15日)。午前、およそ二時間のバスで楽山へ、世界一の大仏――楽山大仏を見学。 
朝、バスで約2時間楽山市へ。観光船で大仏の足元へ。
楽山大仏は岷江、青衣江、大渡河という三本の川の流れを合流するところの岩壁に彫られた弥勒菩薩の坐像である。唐という時代713年から、90年間をかけて完成した。発起者の海通和尚はこの辺りの水難事故が多いことを鑑み、大仏像を作って水の流れの勢いをやわらげようと考え、想像を絶する苦難を経て大仏の建設を始めた。彼の死後、大仏像は遂に完成し、その後、水難がなくなったという。
水利工程でもある大仏像は、岩山の形に沿って彫られて、「山はそれすなわち仏、仏はそれすなわち山」といわれている。その高さは71メートル。1996年、世界文化と自然遺産に指定された。

大仏の足元から離れて、遠くから眺めると、烏尤山、凌雲山、東岩などが構成された自然地形は仰向けに寝ている大仏(睡仏)の形にそっくり。楽山大仏は丁度睡仏の脇辺りにあり、仏が生れるときに、母親の脇から飛び出ていた、という仏教の説話を示している。また、この位置は胸辺りにあり、仏はすなわち心、ということを象徴している、という説もある。なお、睡仏の丹田の位置に聳えている塔は、海通和尚の骨を納めている舎利塔である。
午後、成都に戻り、諸葛孔明を祭る武候祠、及び老子伝説とかかわる道観(道教寺院)青羊宮を見学。
武候祠は千年以上の歴史があり、祭られた諸葛孔明(181-234年)は、三国の時代著名な政治家と軍事家であり、蜀の宰相在任中、優れた政策を実行し、民に愛されていた。
武候祠
には、諸葛孔明と彼が仕えた主君劉備玄徳が合祀されている。正面玄関に向かって、劉備玄徳の像が祭られている前殿があり、奥のほうの主要建築である主殿には諸葛孔明が祭られている。いわば、主君が臣下の門番になっている、という奇妙なつくりになっている。ただし、儒教における君臣の上下関係を示すために、前殿の床は、主殿より高く作られている。
諸葛孔明と劉備玄徳のほか、武候祠には、関羽、張飛をはじめとする41名の蜀国の武将と文臣の像が祭られて、いずれも清代の彫塑である。
西側には、劉備の墓がある。その形は、円形の日本の古墳に似ている。
諸葛孔明の内面の学問と修行は、易、気、陰陽、五行などを中心として、もっぱら道家の系統に属している。しかし、彼がやり遂げようとする事業は、天下を平和にもたらし、民を安定に生活できることである。これは、儒家の志向である。このような生き方は「外儒内道」と呼ばれて、中国文化の特徴のひとつである。漢王朝の劉邦の建国のために力を尽くした張良、三国の諸葛孔明、明の開国名臣劉伯温、そして現代の周恩来に至って、いずれもこの系譜の人物に属している。時代は異なるが、「外儒内道」の行き方は、現在のわれわれの修行にとって、なお積極的意味を持っている。私は、「気功と『大学』」を講義したときに、「出家の心で在家のことを」というサブタイトルをつけた。出家の心というのは、「内道」に相当し、在家のことを、というのは、「外儒」に相当する。自分の生命の本質と宇宙、自然のルールを認識し(=内道)、さらに、これを生かして社会のために積極的寄与する(=外儒)。そして、仕事や社会への寄与、及びそれに伴った疲れやストレスを乗り越えることによって、自分の内面の修行をさらに高める(=内道)。このようにして、外儒と内道は、ひとつのサイクルになっている。
青羊宮は成都市の西南郊外に位置し、中国の著名な道観(道教の寺院)のひとつである。その歴史は唐にさかのぼる。唐という時代は、皇帝は李姓であるため、老子(その名は李耼)を祖とする道教の地位を高く持ち上げた。
道観にある碑文を読むと、こういう伝説が書かれている。老子が青牛に乗って函谷関に着き、関令(函谷関を守衛する最高長官)尹喜に道徳経を授けた後、千日のあと青羊の所に会おう、と約束した。千日のあと、尹喜はこの地で青羊をつれている子供に会い、子供は、先生は後ろに待っているよ、といって、姿が見えなくなった。
正面玄関に向かっている壁の後ろには、太極図が描かれて、これは、普段見られるような、陰陽が左右対称の形で描かれている太極図と少々異なって、陰陽は螺旋のように互いに入り込んだ形でできた太極図である。その両側には、「道生一、一生二、二生三、三生万物」という老子道徳経の一節が書かれている。
青羊宮の最も特色のある建物は、八卦亭である。亭の礎は四角で、亭の建築本体は円形になっている。これは、「天円地方」(天は円形で地は四角)の説を現している。八本の柱があり、八卦の方角を代表している。亭のなかで、老子の像が祭られている。亭の正面階段には、石に刻まれた八卦図がある。この八卦図は後天八卦図である。ちなみに、応用する場合は、すべて後天八卦図を使う。皆がこの八卦図は逆立ちになっているのではないか、と指摘している。確かに、私たちが正面の階段に向けて亭の外から中へ見るときに、図は逆立ちになっている。しかし、亭の中に立って外へ見れば、図は正面になっている。八卦を見るときに、決まりとして、中(中心)から外(円周)を見るのである。
主殿の三清殿の前に、清代、北京から運んできた二匹の銅羊が置かれている、そのうちの一匹は、耳はねずみ、鼻は牛、爪は虎、唇はウサギ、角は龍(羊角はひとつしかない)、尻尾はヘビ、顔は馬、ひげは羊、首はサル、目は鶏、腹は犬、尻は豚。つまり、十二干支が揃っている。
三清殿のなか、道士(道教の出家者)が経を唱えている。道教音楽は、五行で構成されている。乾道(男の道士)と坤道(女の道士)両方見られた。
夜、夕食のレストラン(高原に入る前の早期ボケ反応として、レストランの名前は記憶にない)
いよいよ、劉先生と面会。白いスーツの劉先生はレストランの入り口で、満面の笑顔で皆を迎える。一人一人握手して、以前の養生の旅であった人をすべて覚えている。そして、劉先生の息子の若先生は皆と初面会。
劉先生を囲む夕食会。これ以降の料理は、辛くて味濃い四川料理のイメージを一変して、辛くない薄味の料理になった。
ポイントその一:劉先生のファッション。金(=白、肺気、悲しみ、)木(=青、肝気、怒り)水(=紫、腎気、恐れ、)火(=赤、心気、喜び、)土(=黄、脾気、憂・思)。色という外五行の相生相勝関係を通して、内五行の気と情緒を調整する。これは、伝統の養生学のファッション色についての学問である。これからの何日間、異なる山を登るときに、劉先生は異なる色のファッションを着ている。
例えば、ある日、黒いズボン、緑のシャツ、そして、白いスーツをしている。これは、金生水、水生木、という相生の原理の応用である。
ポイントその二:劉先生の座る場所、向き。詳細の解説は省略。ともかく、これらをよく観察して、風水の応用のコツを盗もう。そして、劉先生が食事しながら皆に気を送る方法も。師範の方にとって、これは、気功教室で「帯功」するときに、自分や学生の座る位置、配列などを学ぶ格好のチャンス。基本原理は八卦にあるが、応用の分野から言えば、軍事学であれば、「陣」の並べ方になり、気功であれば、気場の組織方法になる。
ポイントその三:辛くない四川料理になったわけとは。劉先生はこう言っている、「脾胃は後天のもとである。40歳を越えると、胃気が弱くなっていく、故に強い刺激性のある食べ物を避けるべき。
食べ物は呼吸と同様、後天のエネルギーを補充する最大のエネルギー源である。私たちは、身体に不適切な食べ物を食べてはならない。この点について、妥協の余地がない。そうしないと、いくら気功の練習を励んでも、無駄な努力になる。
食べ物に関しては、地域、民族、文化、個人の習慣、練習のレベル、在家か出家かなどによって、一律ではないが、食べ物に最大の注意を払って、妥協の余地がない。これは養生の最大のポイントの一つである。この点については、劉先生は初めての日から、最後の日まで、警鐘を鳴らし続けている。
ホテルに戻って、私の部屋で、劉先生と若先生はみんなの治療を行った。
三日目、16日。午前、中国文学史の聖地、李白と詩聖--杜甫(712-770年)が住んでいた杜甫草堂を見学。杜甫は草堂で240四首ものしを書き残した。草堂の敷地内、いたるところに文化的な雰囲気を漂っている。木や竹、花がいっぱい植えている庭園には、民族舞踊、伝統武術、太極拳などを練習する人々の姿が見られる。なお、博物館には、多くの青銅器、玉器などの収蔵品が陳列されている。
Sさんは黒檀一刀彫りの観音像を購入。Oさんは、氷玉と呼ばれる玉器で作られた杯を買った。氷玉は、緑、紫、白など、色はさまざまあるが、半透明の玉の真ん中に、氷の
模様が映っている。手で触ると、氷のように冷たく、また、非常に重い。劉先生によると、これは、地下深いところにある玉で、山頂の氷河が溶けて長い歳月を経て深い地下に流れ込み、玉石に染み込んでできたものである。
昼食後、バスで50キロ先の綿陽へ移動。
成都パンダ(熊猫)基地見学。中国最大級のパンダ研究センター。560亩(1亩=60平米)の広大な敷地内、緑化面積は96%。野生の生態環境を模擬している。サザに囲まれた歩道に沿ってパンダの宿舎へ。最初に迎えてくれたのは、雄濱という名の子パンダの写真。雄濱君は中日の共同研究による人工繁殖で、日本で生れた子である。パンダ基地には、20何頭のパンダがいる。その他、パンダのいとこに当たるレッドパンダも飼っている。パンダのさまざまな寝相を見てから、丁度夕食の時間で、パンダたちは、サザを呑気で食べている姿も見せてくれた。
三星堆
黄河文明に対し、三星堆は長江文明に属す。中国のほかの地域の文明と互いに影響しあいながら、独自性を持っている。三星堆文明の発見の意義は、古代エジプト文明、バビロン文明、ギリシャ文明、マヤ文明に匹敵すると指摘されている。なお、この文明もほかの古代文明と同様、その全盛期で突然消えた。

夜は綿陽の王子大酒店に泊まる。綿陽は中国最大のテレビ生産基地であるといわれた。綿陽からバスで九寨溝に行く途中、山の奥にある少数民族の集落にも、すべての民居の屋根に大きなテレビ受信アンテナが張ってある。是を見ると、中国のテレビ市場の大きさは計りきれないということが実感した。
夜、ホテルで治療を行い、終わったあと、劉先生による「帯功」(気を送りながらの共同練習)を行い、同時に、劉先生は「査功」(皆さんの練功の状況を調べる)を行った。
帯功終了。劉師は皆にいわく「これから、丹田を意守しなくていい」。なぜ、これまで、私たちはお坊さんのようなただ座るだけの座禅が間違っていると指摘したのか。なぜ、劉師は、これから、ただ座るだけでいい、といったのか。道元禅師の「只管打座」の真意とはなにか。
これは、禅功における「性」と「命」、「空」と「色」の大問題が含まれている。
よくよく考えてください。
四日目、17日、いよいよ、世界文化遺産九寨溝へ。
朝食しながら、皆がこれからの旅に備えて、饅頭や玉子など、食べ物を盗み始めた。従業員に目をつけられた怪しいグループ。劉師いわく「気功は盗みと奪いの学問である」(養生の旅、武夷山にて)。この言葉の大元は老子「人は、天地から盗み、天地は、万物から盗む」。劉師は、盗むなら三つのものに限る、その1、食べ物、その2、天地の気、その3、先生の技、といっている。まさにそのために、先生は、食べ物には妥協の余地がない、なお、物盗みと見られるのはそれ以上の侮辱がないと思った。
途中、酸素ポンベーとチベット薬草からなる「紅景天」を買う。つつじの山を登り、標高3千7百名―ドルの峠を越える。峠の頂上、一旦下車して、高山植物や風景を見学。峠のこちら側は、成都平野から上ってきた熱気の関係で気温が熱く、向こう側はチベット高原からの冷たい空気で気温が急に下がった。
途中、Kさんが高山反応で鼻血が出た。劉先生は、「一指禅功は止血が最も早いよ」その一言を喋った後、鼻血はただちに止まった。
6時間のバス旅行で、夕焼けの中で、九寨溝に着く。九宮賓館に泊まる。ホテルに入る直前、西側の山峰から夕日の光が輝き、そこで皆で記念写真撮影。
夜、いつもの治療と帯功。
五日目、18日、終日、九寨溝見学。九寨溝に入り、天然ガスを使うバスで98キロの観光コース。
まさに仙境と呼ばれる場所。特に、水が特色である。「山を見るなら黄山、水を見るなら九寨溝」。
原始森林まで、山道で、標高3千6百メートルまで上った。高原反応が出たKさんに、劉先生は後ろから目で気を送り、100メートルくらい歩くと、元気になった。はじめての体験とKさんが感想を述べた。
夜、ホテルのすぐそばにある劇場で、最近、中国で大人気のチベット族歌手容中格璽の劇団の素晴らしいショーを見る。地もとの稗酒、馬乳、毛の生えた牛?の肉などを賞味しながら、ラマ教の歓迎式、華やかなチベット族、チャン族などの民族舞踊と歌を観賞。
ホテルにも戻り、治療、帯功の後、若先生の講義。テーマ:「気功と現代医学について」。神経・内分泌、免疫、という三つのネットワークで成り立つシステム論で、気功養生の原理を分かりやすく解説。講義の後、質疑応答を行った。
皆が部屋に戻った後、密かに先生とカラオッケに行った。先生は「草原情歌」・「よう樹下」・「忘不了」三曲を続けて歌って、同行の洪さんに対する治療を行った。なぜその三曲か、と尋ねると、一曲目は高音、二曲目は下がって、三曲目は広がる。これで、高山病治療の原理が分かった。先生は、さらに、深水潜りのダイバーを治療した症例をケースに、三焦と弁証論治の原理を解説した。ちなみに、旅行中、毎日のように、朝4時までのカラオケ修行(皆さんも呼ぼうと考えたが、日本語の歌がなくてあきらめた)。
六日目、19日、バスで九寨溝から世界文化遺産黄龍へ。3時間のバスで黄龍。雄大な滝に沿って山登り、およそ3千5百メートルの五彩池まで、そこで、何人か静功を行い、収功の後、顔がツルツルになって、びっくりした。こらは、マイナス氧という純天然化粧品のおかげである。
バスに戻り、三名の人が高山の寒気を受け、具合が悪くなる。劉先生は「目」で同時に治療を行い、
症状解除。

さらに、バス5時間、茂県へ。途中、標高4000メートルの山を越える。雲の上で車を乗る気持ちは言葉では形容できない。途中、ある大きな湖を経過する。それは、地震にあってある集落ごと大地の底へ沈んだ後形成された湖である。坤の地域は、よく地震する。何年前、雲南省で大地震が発生し、神戸をはじめとする日本の各地の方々からたくさんの寄付金を送った記憶がある。この湖を見ると、坤卦と震卦の地震はどう違うかをよく分かる。震は上向けるお椀の形になっている。大地が揺れるとその上に乗せたものは悉く割れる。こういう卦象(卦の形)になっている。日本も丁度震卦の方角に位置しているが、方角は東、色は緑、五行は木に属し、五臓は肝に属し、木の性格は伸びる、肝気は昇る、故に日本は日の出の国といわれる。日本は地震の国、肝風は動くため台風が多い。これに比べて、坤は三本の線ともに切れている。震卦のように、下で支えている底がない。故に地震は常に大地が陥落するような結果になる。山を下って、茂県にたどり着く。茂県国際飯店に泊まる。茂県は四川料理に欠かさない材料――山椒の産地である。
震卦と坤卦の比較:
「震仰盃」:震は上向けている盃の形
「坤六断」:坤は六本の線がいずれも切れている。
夜、治療、帯功
7日目、20日 バスで世界文化遺産都江堰を見学。2500年前作られた治水工程、現在に至って使われている。川を切断する巨大ダムは、西洋医学の外科手術と同じ原理であるが、自然に従う形で作られた都江堰は、中国医学と同じ原理に基づくものである。内河と外河の役割分担によって、表面の清らかな水は内河に流れて成都の平野の灌漑に使う、底流の濁る水は砂石とともに外河に流す。さらに、内河の下流に作られた飛砂堰の水流旋回を通して、内河の浄化能力をいっそう高める。
内功の練習もまた同じ原理で行われているのではないか。昇降・浮沈と旋回が内気の循環と内気・外気交流のポイントである。例えば、肝・脾の関係からいえば、肝気は上り、脾気は下がる。互いに「左昇右降」の関係を構成する。督脈と任脈の関係で言えば、督脈は昇、任脈は降で、「後昇前降」の関係を形成する。気機の昇降によって、「清濁」が分けられる。清らかな気は上に浮かぶ、濁る気は下に沈む。丹田の旋回の力によって、昇降・浮沈の動きがいっそう促進される。老子いわく「人は地に則り、地は天に則り、天は道に則る」、つまり、人の生命運動は、大地の運動法則に従っている。大地の運動法則は、天体の運動法則に従っている。そして、天体の運動は、道という宇宙の根本法則に従っている。大地の摂理に従って作られ都江堰は、私たちの練習によい見本を示してくれたといえよう。
夕食は成都有名な薬膳料理。コウリャン酒でつけた朝鮮人参とクコの実の酒を飲み放題。夜の治療、劉
先生はいろいろな「小技」を披露。
8日目、21日 成都から青城山へ。中国道教の発祥の地。天下一寂静といわれる山、霊気に包まれている。月城湖を渡って、ロープウェイで昇る。青城山の武術は、中国四大剣派のひとつと伝えられているが、実は青城山の宝は武術ではなく、易である。ハイレベルの道士たちは易を深く研鑽し、正殿の入り口の横に住んでいる道士の一人はその第一人者で、過去と未来のことは90%当たるといわれている。その道士の部屋の前までいったが、他のお客さんがいるため、あきらめた。以前、易の発祥地で劉先生は大道芸をやる易者とやり取りしたことがあった。易者は先生のことを何も知らないが、自分のことはすべて劉先生に言い当たった。今回、劉先生と本当の易の修行者と会えば、どんなことになるか、これを見たくてわくわくしている。しかし、制限された観光時間のなかで、遂に実現できなかった。ちなみに、劉先生は山を昇るときに、杖の代わりに指一本地面に指して、体が軽く上のほうに浮いた。後ろにいる高校生の地元ガイドはこれを見ると、一指禅と思わず声を出した。これを見てびっくりして心臓がどきどきしている、といった。私はこれを見てない。
夕食のあと、四川劇を鑑賞。変面の技はすばらしい。そのコツは国家機密とされている。夜、いつもの治療と帯功。
9日目、CA915成都から上海へ、CA919 上海から東京。
一応、記憶だけで日誌を書き下した。間違いがあったら、訂正してください。
今回の養生の旅の基本原理:
1、 五方(東西南北中)から気を採取する。養生の旅は、通常の旅行のように、観光したり、地元の料理を食べたりすることも目的のひとつであるが、最も重要なのは、五方の気を吸収することである。東西南北中は木金火水土に対応し、さらに、肝肺心腎脾に対応する。一箇所だけで一生懸命座禅するだけでは、こうした五方の気を取り入れることは到底できない。故に、昔の修行者は、天下を歩き回る「雲遊」という行を行う。
今回選んだのは、後天八卦の坤の方角(西南)。坤は陰のなかの陰で、故に四川省は太陽を見ると犬もほえるほど霧が多い。地気が盛んである故に自然の物産が豊かで天府の国と呼ばれた。漢方薬草の一大産地でもある。そして、土生金の原理によって、地下資源が豊かで、玉、瑪瑙、水晶、宝石などが多く産出している。さらに、金は水を生む、この地域では水の資源は豊富で、かつ水の景色は極めて綺麗。見た目では岩山であるが、緑の森に覆われている。これは、その山の内部で水が豊富であるためである。皆が買った水蜜桃もその地域の特産であるが、劉先生は、これが「天造地設」、つまり、自然が自然の摂理に従って生み出すものである、といった。今回の旅行は、このような坤卦に属する水の文化をめぐる旅でもある。水が綺麗であるため、四川の女性が美しい。そして、茅台をはじめとする中国の名酒は、いずれも坤卦の産物である。なお、美味しいお茶の産地でもある。しかし、陰気が盛んな地域で、四川茶は概ね寒性のものである。このような寒気、湿気を発散するために、四川料理は辛い。なお、四川の女子の性格も豪快でさっぱりしている。
歴史的に、四川ほどの資源の豊かな地方、そして、諸葛孔明ほどの人物でも、ここを根拠地に天下を統一することができなかった。近代歴史学の解釈もあるが、ここの風水から見れば、四面は高い山に囲まれて、気をそのなかに集まることはできるが、外へ広げることは難しい。故に、この地で割拠こそできるが、統一は達成できない。これは、風水と気学による歴史解釈である。現在、四川を含む西部地方は、東部沿海地域と比べると、経済の格差は非常に大きい。サービスなども明らかに遅れている。しかし、このような奥地もそこまで発展した、とかえって感心した。土は金を生む、この地域もこれからさらに発展していくことに違いない。むしろ発展と環境の関係がこれからいっそう厳しい課題になるだろう。
劉先生いわく、医者たるものは、上には天文を知り、中間には人事を知る、下には地理を知らなければならない。養生にとっても同じではないか。易・気・陰陽・五行などの伝統的理論+気功訓練による感受性でその地域の社会、経済、政治、天候、地理、風土、物産、人情、文化などを総合的に読み解く、これは、現代の社会・人文科学と異なる手法。かつて諸葛孔明が使ったのはこのような方法であろう。
2、 疲労に対する抵抗力、及び疲れた後の快速回復力
『黄帝内経』によると、「頭は無駄なことを考えないで、体は無駄な働きをしない。そうすれば、百歳の天命をまとうことができる」。この説は正しいであるが、現代社会には、殆ど無意味である。現代社会にとって、積極的な社会意義を持つ養生とは、いかに練習を通して大脳を活性化させ、より複雑な問題を思考できるか、そして、いかに身体を強くして、よりハードな仕事に耐えられるか、ということにある。そこで、二つの課題が提起された。その1、ハードスケジュールのなかで、いかに体のバランスを保つか=ストレスと疲労に対する抵抗力。その2、いくら強靭な体と精神を持つとしても、人間である限り疲れるものである。そして、翌日の仕事に影響しないように、いかに疲れをその日のうちに回復させるか=疲れから快速回復する能力。
その二つの課題を答えるために、まず、高原地域を選んだ。次に、長時間のバス旅行、というハードスケジュールを設定した。(バス旅行のもうひとつの狙いは、上掲の1を見れば分かる)。そして、具体的方法として、昼間はハード、夜は治療と帯功、昼間の疲れを解消するだけではなく、さらに、新たなエネルギーを補充。このようなことを繰りされるうちに、体の疲労に対する抵抗力、及び疲労の快速回復能力が自然に高められる。(旅行の経過を見ると、二つの課題は見事に達成したと思われる。残りのもうひとつの課題は、日常の中の人間関係のストレスをどう乗り越えるか。同じの原理を応用して各自で解決するしかない。逃げるべきではない、そして、避ける道も決してない)
3、 気機の昇降能力
カラオケでの「秘伝」。宇宙航空士は地球に返ってきた後、先ずは減圧倉に入れられて、地球の気圧を適応させる。また、深海に潜る者は海面に戻ると、やはり減圧倉に入れられて気圧を適応させる。人間の気機から言えば、三焦は昇降を司る。上焦は昇る、下焦は下がる、中焦は丁度その中継と減圧の船倉のようなものである。高原病治療のコツもここにある。これができれば、「宇宙病」、「潜水病」の治療もできる。
私たちの旅行は、飛行機(=上焦)、バス(=中焦)、歩行(=下焦)、という三つの方法を使った。飛行機で標高500メートルの成都へ、そこからいきなり標高3500メートルの九寨溝に飛べば、必ず高山反応が出る。その中間のバス移動は減圧倉の役割を果たしている。山から下りたときにも、5時間のバス移動。これは、翌日の高山反応後遺症を防止するための重要な役割を果たした。
なお、成都を終始点として、四つの世界遺産に巡って一週にした。バスの移動経路として、左からは昇り、そして、海抜3-4000メートルに昇ったら、右から下って、成都に戻る。一指禅功の」左昇右降」の気の経路に一致している。
帰った後の情報と感想:
今回の旅行のメインテーマとそのレベルは、およそ師範に照準して設定したものである。しかし、初めて参加した方も含めて、皆さんは見事に是を応えてくれた。普通の旅行団なら、おそらく、半数ないし全員ダウンしてしまうかもしれない日程。しかし、個別の方を除いて、帰った後、いままで受けた情報に限って、殆どの方は疲れが残ってないようである。密告によると、初めて参加したTさんは朝8時から外へ出かけた。また、初めて団体旅行を参加したNさんもピンピン元気でいるらしい。最高齢者のMさんは教室に通ったとき、腰がまっすぐ伸びていた。ちなみに、私はいつも飛行機が降下した時に、耳がすごく痛く感じるが、今回、成田着陸したときに、ある人に気を送りながら呑気で新聞を読んでいる。まるでバスがバス停に着いた感じ。そして、少しも疲れが残ってない。例年、例の夜明けまでのカラオケ修行にさせられたが、旅行からかえると、やはり疲れが残る。今回は知らずうちに完全にステップアップ。これから、カラオケを歌おうとする相手がいれば、どこに行っても、何時までも、何日続けても、気楽で付き合っていける自信がある。
劉先生の皆の練習に対する評価:内気はよく回っている。経絡もよく通る。一緒の洪さんは、皆さんの姿勢は厦門一指禅功センターの練習者よりはよい。そして、劉先生は、フィリピンにいる練習者よりもよい。これは、ほめすぎではないと思われる。劉先生の何人かの内弟子以外、厦門とフィリピンの練習者は、皆さんのようなに、毎日、毎週練習してないからである。そして、今回の旅行を通して、私から見れば、これからの課題として、二つがあると思われる。ひとつは、命功(身体)だけではなく、性功(精神、認識の境)も同様に重視すべき。もうひとつは、伝統理論の勉強(現代科学の重要性はすでに若先生が指摘した通り)。例えば、八卦、陰陽、五行、中医学の理論、臓腑学説(三焦説もそうであるが)、風水、人相など、そういうことが分からなければ、自然、人間、身体、社会を総合的に読み取るのは難しい。なお、気功レベルの向上も難しい。しかし、これは、皆が勉強を怠けたせいではない。まずひとつ、言語の障壁がある。伝統の理論はおよそ漢文で書かれており、学者は漢文できるが、気功をやってない、だから読めない。皆さんは気功をやっているが、漢文は苦手、やはり読めない。この点について、これから、どういうふうに工夫するか、私の課題になる。
急ぎでまとめて、記入漏れや間違いも多いと思いますが、まずはこれで報告させていただく。
写真とビデオは未整理。
最終日、Tさんの誕生日。上海の習慣で面を食べて祝った。生の充実を、もっと長くもっと伸びる、という祝福が含意されている。同じのような祝福を、養生事業を広げることで、すべての人々に届きたい。