中国気功紀行

――無為気功養生会 2006年養生の旅 12回目 

(廖赤陽 2006916日 於立川)

はじめに、

無為気功養生会主催の養生の旅は、毎年一回ですでに12年間続けてきた。この12年間はおよそ次のような三つの段階に分けられる。

第一段階:1〜2回、北京の中華気功進修学院での研修を中心とした。各流派の代表的な気功師やさまざまな分野での代表的な気功学者の講義を受けて、中国人民解放軍総病院の気功リハビリ科の見学など、北京という中心地から気功学術の現状とその到達点を全体的に見渡す視点を獲得した。

第二段階:3−11回、大自然の気との交流を実体験する旅であった。10年間、私たちはほぼ中国の重要な修行の霊場と名山・名水をめぐってきた。南は空海上陸の地の鼓山寺、北は空海の修行を大成した青龍寺まで参りに行った。西へは標高4500メートルのチベット高原に上り、東は東岳泰山で日の出を迎えた。中原の大地では禅宗の総本山少林寺を訪れて達磨修行の洞窟にたどり着いた。五つの方角の天地の霊気を受け入れながら、各地の風土人情・物産飲食・歴史社会を考察する旅でもあった。そして、何よりも、劉先生より病気の治療を受けて、一指禅功の直接の指導も受けてきた。

第三段階:十年一昔。今回の養生の旅は、第三段階の始まりであり、今までの養生の旅の総括とバージョンアップの旅であった。旅の基本のデザインは次のようである。    

武夷山の美しい自然と山水の霊気との交流の中で、治療と練功を一体化し、体、心、頭の三つの部分の調和と癒しを図る。具体的には、午前は、山登りや渓流くだりなど、山水の霊気を盗み取る。午後は林先生による気功養生の講義を受け、気功養生を個々「術」として捉えるのではなく、体系化した「学」として学ぶ。そして、夜は、劉先生による治療、さらに、治療後、劉先生による静功の「帯功」が行う。一指禅功の練習時間は、今回特に設けられていないが、実際、三つの功法は毎日欠かさず練習していた。山登りは、一指禅功の「立禅」と「行禅」に相当し、午後の講義の間の静座とよる治療後の静座は、一指禅功の座禅に相当するものであった。

次に、今回の旅を写真日誌を通して回顧してみよう。

818日(金)晴れ

700 成田空港、第二ターミナル集合。各自チェックイン。920 登機。1230厦門空港着、晴れ。厦門は、中国東南沿岸に位置する島(現在は半島)都市であり、海上の花園と呼ばれる美しい町であった改革開放後いち早く経済特別区に指定され、すさまじい経済成長を遂げてきた。

 左上:厦門空港から亜熱帯の風景が広がる美しい環島路をバスで走り、レストランへ直行。

 右上:東南最高学府といわれる厦門大学のキャンパス

   

歓迎宴会で、劉先生(左)と林先生(右)が歌う。

      

薬膳:木謹花・烏骨鶏・淮山のスープ。【効能】木謹花(左):解毒・美顔・食欲増進。烏骨鶏(右):腎気(肉が黒いから)と肺気(羽が白いから)を補う。婦人科にもよく使われる。淮山:日本の山芋の干し物。脾の湿を取り除き、脾と胃の気を健全にする。

    

左:お盆に供える線香や紙銭(あの世で使うお金)。右:生きた魚介を並べる海鮮レストラン。

    

福建省南部の仏教センター:南普陀寺。その影響は東南アジアに広がる。千手観音を大悲殿のなか、日本のお坊さんと南普陀寺の僧侶とともに般若心経を唱える。言葉が異なっても息と心が通じ合う。

       

南普陀寺外の蓮池散策。PM5:00、バスで駅に移動。

  

いよいよ武夷山へ。初めて乗る寝台夜行列車。

    車内の風景

819日 830分 武夷山駅に着く。六年前、ここは辺鄙な山村に過ぎなかったが、今は、立派な観光町に変貌した。

  

左:武夷山駅。右:駅前の町。現在の武夷山市の人口は20万人。一人当たり6万本の樹木を有する。工業は全くなく経済はもっぱら観光業によって支えられている。農業は、茶、竹、稲が中心。文化的には儒教と道教の聖地であり、殊に朱子学の発祥の地であった。武夷山に三つの宝ありといわれて、これは、山、水と茶であった。同地は世界の自然遺産であると同時に世界文化遺産でもあった。930分、ホテルに着く。
 
左上:ホテルのロビーでくつろぐ。右六年前に武夷山で合ったワンちゃんの「貝貝」が迎えに来た。
右上::六年前に武夷山で合ったワンちゃんの「貝貝」が迎えに来た。


左上:プーアル茶+バラのつぼみ。効能:プーアル茶は消化を助け脂肪を除く。バラは肝気

を平和にして美容。あわせて使うと、ダイエット、ストレス解消、美容の三大効果がある。

上中:武夷山の燻製干したけのこ。右上:赤いキノコ、血を補う効果が抜群。

午後、林先生の講義

夕飯はホテルで武夷山の幸。夜、劉先生の治療と帯功。

 

林先生の講義

 

820日(日)

自然保護区に行く予定だったが、雨で道路が崩れたため、周辺の観光と講義に計画変更。

 

821日(月)

午前、水簾洞、朱熹祠、大紅ぼう風景区を観光

 

上左:大紅ぼうの現場で、武夷山の茶芸を体系的に整理した黄先生(左)と林先生が武夷山の岩茶及びお茶と養生について講義。右上:岩茶の伝統を守ることを志す若者――冬冬。

上左:武夷山の竹輿。中:鷹ずい岩。上右:幻の大紅ぼうの原木。

 

下左:水簾洞、その上に朱子を祀る三賢祠が建てられている。

下右:三賢祠に祀られている朱子像。朝鮮半島及び江戸時代の日本では、朱子学は正統なイデオロギーであった。     

                                                     
















             

三賢祠の壁に掛けている朱子の四つの書。右から、1.若いうちに学問を身につける重要性を説く、2.家事を切り盛りする格言、3.儒家の「気功」静座のコツ、4.天地太極の摂理。儒家の修行の体系とそのステップは、四書五経のひとつに数える『大学』に最もよく論じられている。これは、「格物・至知・養性・修身・斉家・治国・平天下」である。つまり、よい学問(格物・至知)、よいこころ(養性)、よい身体(修身)、家庭関係を整える(斉家)、社会に貢献する(治国)、天下に平和をもたらす(平天下)。以上の四つの書には、格物・至知・養性・修身・斉家に至ることを述べてあるが、治国・平天下については触れなかった。おそらく、これは、山を降りてからやり遂げることであるからであろう。自分自身の内面的修行と外の社会への貢献、本当の儒家の学問は、このような内外両面の修行ともに欠かせないものである。

 午後:林先生の講義。夜:劉先生の治療と帯功。

 

822()

午前、九曲渓の清流下り。下中:岩壁の洞穴に船棺(船の形の柩)が入っている。4千年前の古越族の人の墓である。巨大な船棺をいかに絶壁に持ち上げたのか、いまだ謎。右下:武夷山のシンボルである玉女峰。

 

                

 

 

 

武夷宮散策の後、ホテルに戻る。午後、林先生の講義。夜:劉先生の治療と帯功。

黄先生と息子の冬冬さんの茶文化交流。

823日(水) 晴れ

道路が修復され、自然保護区へ。保護区の入り口。

 

  

上左:巨大な蛾。上中:龍川大峡谷を渡る。上右:黄龍大滝。

  

上:夕飯のレストラン。夜:茶芸ショー、治療と練功。

824日(木)晴れ 午前、天遊峰を上る。

 左:九曲渓から天遊峰を眺める。中:天遊峰から九曲渓を鳥瞰する。右上:この大きな岩壁の下は朱子が講義する場所だった。高い志、強い意志、まっすぐなこころの象徴である。

















下:天遊峰の頂上。皆が無事に登れてほっとした。病気を抱えた方も竹輿に乗らずに、強い意志力で登りきった。

                                                                                                    上中:天遊峰下山途中の茶寮。

午後:林先生の講義。その後、林先生の勧めで、道家「気功」の代表人物、白玉蟾(林先生の授業に触れた張紫陽の弟子)の修行の場、「止止庵」に見学に行った。

下左・下中:止止庵に行く途中。右上:止止庵遺跡

 

武夷山は、歴史上、道教の修行者の中から8名もの成功者が出たと伝えられた。「止止」とは、修行の大きなポイントを示す言葉である。天台宗の小止観法門や儒家の「止於至善」と同工異曲のすばらしさがある。丹田に意守することは「止」の一種であれば、丹田意守さえも捨てることは「止止」(とまることをとめる)という。気功の練習だけではなく、株取引をするとき、学問を目指すとき、事業を起こすとき、ないし日常生活や趣味などにおいて、いずれも何をやるのか(止)、どこで方針転換または手放すか(止止)かは、成功するか失敗するかの鍵を握っている。「止止」は、ひとつの物事に踏ん張って(やめることをとめる)、いかなる困難にも負けず、成功するまで辛抱強く頑張ることの重要性を説いている。同時に、「とまることをやめる」と解釈することもでき、ある物事に執着せず、こころをより自由にするひとつの方法である。なお、儒家の経典の『大学』には、「大いなる道は…至善に止めることにある」と書いてあるが、至善とは、最善のことであるが、問題は何を以って最善の基準となるのか。無制限的に先へ先へと進むのではなく、丁度いいところで止めることが最善ではないか。

夕飯:お世話になった黄さん=わがまま犬貝貝のおばあちゃんの農園で、無農薬のピーナッツや野菜狩をして、地鶏などの農家料理を楽しんだ。夜はいつもの治療と帯功。

 

825日(金)

午前、遇林亭という宋代のかまどの後を見学。そこで作られた黒釉碗などの陶磁器は、日本などに広く輸出した。下左:山の地勢に沿って作られたかまど。

 


右:かまどの発掘現場。よいかまどでは、形、風、火力と温度の三つの条件がある。まさに気功練習中の身体・呼吸、意識の三つの調整の原理と同じである。遇林亭から車で十数分、蓮華峰につく、
500メートルの絶壁の上に寺があり、その下に広大な蓮の畑がある。一団の白サギは人の到来に驚いて、空に飛び立つ。                                        
蓮は
1.5元一本で、自分で採集できる。農家でみんなで蓮の実を買う。中医から見た蓮の実は、「味」は甘、「性」は平・渋。毒なし。中気を補って神を養う効果がある。西洋医学の研究では、蓮の実には多くの栄養成分が含まれている。蓮の実の気は、脾・腎・心経に入り、心脾を補い、下痢を止め、腎気を増強して精を生み出し、精神安定などの効果があり、不眠症、生理不順などの症状にも効く。

       

上左・上中・上右:蓮華峰から、御茶園に行く。編鐘の演奏と茶芸ショーを見学。

昼食の後、劉先生、林先生三人と武夷学院(大学)に見学に行った。新設の大学で、学生数は1万人。
下左:武夷学院のキャンパス。下右:教授の宿舎。

   

午後、横山先生の講義。夜、劉先生の治療を経て、討論会、廖赤陽の誕生日パーティが開催される。何年来、旅の途中で皆さんに何回も「極秘」のうちに準備してもらい、感心、感動、感謝の三感にとどまらず、本当に感無量です。下:誕生日祝いの会場:静座、討論、パーティー。

     

826日(土)

午前、下梅村の古民居を見学。清代の建物が保存されている。

      

上左:西へ流れる渓流。清代の全盛期では、毎日三百隻以上のお茶を積んだ竹筏がこの渓流を下って川に行き、お茶はロシアを経てヨーロッパに向かう。東西南北を結ぶ7万キロものお茶の道の起点であった。
上中:茶貿易で栄えた鄒一族の「祠堂」――先祖の祀りや、公益事業、親睦などを図る宗族組織の施設。水の陰=渓流の北側の中心部に設置されている。
上右:正面玄関の外、西の方角に「乾井」、東の方角に「坤井」が掘られている。先天八卦の配置であった。

      

左から13:悠然とした時空に包まれた田園風物詩――足るを知る団欒。右:版築の方式で作られた壁。


左上:昼食の後、「茶観」にいって、お茶を楽しむ。上中:茶観の外で静座。右上:茶観から見た大王峰

 

 さようなら、武夷山。

午後600、観光列車に乗る。朝530、厦門に着く。先生たちと別れる。

足浴でシャワーを浴びて、朝食、足マッサージ、ショッピング、そして空港へ。





 

 

左:朱さんの一指禅功治療院に掲げた劉先生の書。

 









延泊グループ6名、827日武夷山から福州へ、29日、玉華山で師父に会いにいく。

91日、福州から厦門空港、日本へ。
   

左上・中・右:福州名物、老舗のフィッシュボール。

下左:廖の母親手作りのちまきを食べる。下右:玉華山、トラックの荷台に乗って。

     

師父の話:仏の法は三次元の世界に応じて生まれたものである。一人の人間がこの世に生まれてきた以上、この世には、必ずその人のやり遂げなければならないことがある。社会から離れると修行もできない。社会の発展変化についていかない人は、こころも閉ざされている。問題はエゴという殻をどう破るか。殻を破ることは力となり、破らなければ閉じ込められている。儒・仏・道の修行のいずれも、内面の修行から始まり、外面の世界に応用するものである。さらに、外面の世界への応用を通して内面の修行が検証される。ひとつのよい内在的修行は、必ずそれに対応する外面的仕事の成功に現われる。

師父の言葉を以って、今回の養生の旅の総まとめとする。