大学・学会などの活動
大学活動
気功活動
授業の様子
カリキュラム
武術活動
授業の様子
カリキュラム
大学での学術交流
唯識塾(横山紘一)
NHK教育テレビ「心の時代」にも出演され、日本の仏教学者、立教大学文学部名誉教授、唯識塾塾長である横山紘一先生のホームページです。
「こころ」の問題に関心のある方にお薦めします。
唯物塾へのリンクです
世界医学気功学会
気功が発祥した中華人民共和国の政府から世界で唯一認められている医学気功の振興と研究のための学会です。
全世界で20数カ国の気功師と気功を研究する医師や科学者、気功の愛好者の方々が参加しています 。 以下、世界医学気功学会の活動です。
世界医学気功学会 日本支部事務局のホームページです
大学の気功授業の期末レポート
学生01 | 学生02 | 学生03 | 学生04 | 学生05 | 学生06 | 学生07 |
学生08 | 学生09 | 学生10 | 学生11 | 学生12 | 学生13 | 学生14 |
学生15 | 学生16 | 学生17 | 学生18 | 学生19 | 学生20 | 学生21 |
学生1
本レポートでは、テーマ(1)を選択し、気功と健康の関係性について論じていく。
気の作用は、何千年にもわたって哲学者、科学者、医学者たちが注目してきた。彼らによれば、全ての生命活動はすべて気の作用の結果と言われている。気功科学の研究者は、今日までさまざまな研究をしてきたが、気の実体がいったいどのようなものであるか、まだはっきり断言できていなく、それぞれの研究者の意見もまちまちである。しかしながら、中国何千年来の実践の積み重ねが、気の存在とその莫大な作用を証明していることは確かである。
気功と健康には深いつながりがある。しかし、もともと気功は心身の修練のための方法である。気功は体操でもなく、ただの呼吸法でもない。気功が人気になり、商業化されていくうちに、元々の心身の修練という本来の意味合いは減少していき、体操や呼吸法の意味合いが強くなってきた。表面的な商業上の気功を知っていても、なかなか健康にはつながらない。気功の本で呼吸法や姿勢について書かれていても、その通りにやろうとして、息が苦しくなったり、その姿勢が合わなかったりするなら効果はない。気功の本質を知ることで、健康にもつながるのだ。気功をすることにおいて、重要なことは、気功の動作や呼吸法を覚えることではなく、気功の基本思想を掴むことである。それさえできれば動作の要領や目的を把握でき、健康の面でも大きな効果を発揮することができる。
まず健康を保つためには、病気になってはいけない。空気中には、数えきれないほどのウイルスがある。そのウイルスが体内に入ると、感染することもあるが、感染しないことのほうが多い。つまり病気とは、単純な要因で引き起こされるものではなく、さまざまな要因が合わさった総合的な結果であることが分かる。健康に影響を起こす要因に、天気や気温などの身体の外部の環境要素と、感情などの身体の内部の環境が含まれる。感情などの内部の環境を、気功や中国医学では「七情」と呼ぶ。「喜、怒、憂、思、悲、恐、驚」の7つの感情が七情である。それらの感情のバランスがとれている場合は、健康によい状態だが、どれか一方に偏ると健康に害を及ぼしてしまう。では、内部の環境を整えるにはどうすればよいのだろうか。
内部環境を整えるには身体をリラックスさせる「放鬆」、そして頭をリラックスさせる「入静」の2つが重要なポイントである。身体は、一つのネットワーク社会のようなもので、全てが密接に繋がっている。血液や神経は全身にはりめぐらされ、情報やエネルギーも共有している。そのような、人体内部のエネルギーや情報のネットワークを「経路」と呼ぶ。経路の通りが悪いと、エネルギーや情報が上手く全身に伝わらず、身体を害してしまう。筋肉が緊張状態になると、経路の通りが悪くなってしまう。放鬆をすることで、経路の通路を改善し、血の流れをよくすることができる。また入静をし、精神を無にし、樹木のようになることで、生命運動を最大限行うことができる。「放鬆」と「入静」で、頭と身体をリラックスさせることで、内部の環境を整え、経路の通りを良くし、身体の健康管理状態を回復させることができる。
参考文献
寥赤虹・寥赤陽(1998)『気功:その思想と実践』春秋社.
学生2
近年、さまざまな臨床実験や研究で気功による健康への効果が報告されている。
中でも、「気功を行うことにより呼吸器系や心臓・循環器系・消化器系など全身の機能を調和させ、人体を健康にすることができる」ことや、また、「気功をしている時の脳波や皮膚の温度などを測定すると、必ず何か変化が現れる」などといったことは非常に興味深い報告であると感じられる。
また中国や台湾の都市の公園では、 地域の人が集まって保健のための気功をしているという。このことから、中国四千年の歴史の中で気功による健康への効果が実証され受け継がれてきたということがわかる。
これらのような生理的な効能の他に、最近では気功による人体への生物化学的な効能についての研究もなされていて、こういった科学的な研究の成果が今後期待される。
とある病院では西洋医学による治療に加えて、患者自身の治癒力増大や心理的安定のため気功を取り入れて効果をあげている。このように気功を始めとした東洋医学と西洋医学を併用した医療を「ホリスティック医療」と呼び、今後益々進歩し発展して行くであろう。
中国最古の医学書『黄帝内経』には、気功の効果について「病気の予防」、「病気の治療」、「寿命を延ばす」などと書かれている。
気功を構成する三つの要素は、リラックスした状態で精神を集中させる「調心」、呼吸を整える「調息」、姿勢を整える「調身」である。これらの要素を組み合わせた功法を続けることにより、以下のような様々な健康への効果が現れる。
免疫力を高め、自然治癒力を増強する。リラックスすることにより心身のストレスを取り除く。経絡の通りを良くして、気血を調和させる。大脳皮質の興奮を和らげ、内臓の働きを良くする。自律神経のバランスをよくする。基礎代謝を低下させて、エネルギーを貯える。腹部の刺激により、消化吸収を活発にする。様々な潜在能力を開発する。
以上の効果により、心身の健康が実現する。ただ、気功は大変効果がある反面、誤った理解で適用すると危険である。大事なことは、自分自身に合わせて功法や意念の正しい適用と見極めのできる、信頼できる指導者の下で自分にあったものを見つけて実践することである。
気功を実践するうえで、背骨は非常に重要な役割を担う。背骨は、「バックボーン」と言われるように、人体の根幹をなす重要な部分であり、背骨と健康は密接にかかわっている。
頚椎・胸椎・腰椎・仙骨から構成される脊椎は、正常な姿勢を支えるとともにその中に髄液を満たして脊髄を保護する役目を持っていることからもわかるように、脊椎は脳とともに中枢神経系を構成する人体の活動において最も重要な組織の一つであると言える。
しかし、現代人は姿勢が悪いために健康に支障を来たしてしまう病気あるいは未病、つまり半病人となってしまう人が多くなりつつあると私は考える。
気功法を行うことで、自分の中に眠る潜在能力をひきだしてそれを発揮することができる。人間の脳細胞は約140億個あるとされていますが、日常生活において使うのは10数億個で、80~90%は機能していないと言われる。普段潜在能力として眠っている部分を顕在化して発揮させることで、心拍や血圧、皮膚電位、脳波をコントロールするのが気功による健康法なのである。
学生03
元気、病気をはじめとする健康に関する様々な言葉には「気」という文字が使われていることが多い。これらのことから、人々は昔から己の健康状態が自らの気によって左右されているということを理解していたのではないかと考えられる。私は今回の講義で初めて気功を実践した。もちろん、気のエネルギーは目で見ることも、ある特定の触感として触れることもできない。しかし、ピリピリとする感覚、身体が温まっていくといったような感覚を通して、気の存在を確かに感じ取ることができた。この現象を感じたのは学生の中で私だけではないだろう。このように自らの身体の中に気の存在を感じた中で、私が最も注目したことは末端冷え性である自らの手足の指先が、一時間三十分というわずかな講義の時間内にみるみる温まっていったということである。
冷えという現象は身体の健康維持にあたって都合のよくない状態である。身体を温め、自らの体温を上げることで免疫力の向上ができるという事実は今や多数のメディアで紹介され、周知の事実といっていいだろう。確かに、生まれたばかりの健康な赤ん坊や子供は、手足が暖かく、体温が高い。出生時に両親の生命のエネルギー、つまり気のエネルギーを分けてもらったからだ。そして、歳をとるにつれて冷え性などの症状があらわれ、それらが脳梗塞など様々な病気に関連していく。つまり、我々生物は気のエネルギーを使い、生命活動を行っているということだ。使って減ってしまったエネルギーは補充しなくてはいけない。その有力な方法の一つとして気功が存在するのであろう。呼吸を通して自然物から体内へと気のエネルギーを取り込む、そして気功特有の身体の運動によって頭から足先に存在する数多くのツボを刺激し、気のエネルギーを体中に行き渡らせる。
実際に最も寒さに強い人間として、ギネス記録に登録されている人物は、寒冷な地域に住むものではなく、気功を実践している人物であるそうだ。また、気功を実践し、私は、頭のスッキリした感覚というものも身体の体温の上昇と同時に感じた。つまり、上虚下実の状態だ。これは体内に存在されるとされる、陰と陽のバランスが整ったからではないかと考えた。ただただ身体を温めるだけではのぼせてしまう。気功によってバランスを整えること、これが最も重要なことであるだろう。前述したように気そのもの自体は科学的に測定できない。しかし、どのように実践的に気のエネルギーを活用するかが重要であり、バランスの整った小宇宙としての人間を完成させることに、そこに健康というものが存在するのではないかと考えた。しかし、現代の社会では目で見ることができない気のエネルギーを軽視している傾向があるように思う。気というものは自身の健康、生命活動と切り離せない関係にある。これらのことを意識して、気のエネルギーを有効に活用できるよう意識しながら生活していきたいと強く思った。
学生4
気功とはなんなのか、今までなんとなくのイメージしか持っていなかった。それは非常に漠然としたもので、暗示や思い込みの一種位にしか考えていなかったのだが授業を受けてみて少しずつその先入観はなくなったのではないかと今は感じている。なくなったというよりも、西洋医学的な身体の捉え方が相対化されて新しい身体に対する考え方を得ることができたと言ったほうが良いのかもしれない。そしてそれは、頭で考えた知識だけでなく、直接身体で体験することができたことで生々しい知として得ることができた。
最初の頃は、手のひらと手のひらを向かい合わせても気の存在を感じなかったので半信半疑で授業に臨んでいた。しばらくすると、なんとなくではあるが何か暖かいような感覚を感じ始めたのだが、これは単なる生体反応の一種であって熱を持った自分の手のひらが近づいてきたためその熱を感じ取っただとか、普段意識していない箇所に意識を集中させたことで手のひらの感覚が敏感になっているからだ、と考えていた。またその一方で、そんなことを考えていては気功の上達は望めないから頭を空っぽにしなくては、と心の中では二つの考えが行ったり来たりしてしまい、そのような心の葛藤に気を取られているうちに身体の感覚が次第に薄まってしまうことが何度も繰り返された。授業が終わるまでずっとこの状態を繰り返していたのだが、終わってみてふと気づくと不思議とさっぱりとした心持ちになり身体も心なしか軽く感じていた。
私は普段から慢性的に不安と緊張で身体と心がこわばってイライラしていることが多く、自分自身の心の状態は不健康であり健全ではないと思っていた。なので、授業が終わったあとの清々しい気持ちと身体に変わったことを実感して気功には人体と心をあるべき健康的な姿に変えていく力があるのではないかと少し信じることができるようになった。
同じように、西洋医学にも体の悪い部分を健康的な状態に変える力がある。その根拠は何らかの物質が、どこかしらの部位に作用して治すといった物質に還元されるものであるが、気功の場合は物質には還元されない根拠がある。その根拠とは「気」でありそれは目には見えないが確かに存在するものである。何故か私は西洋医学的な解釈か気功的な解釈かのどちらかでしか健康について考えていなかった。それはおそらくどちらか一方がどちらかのよって説明のつくものであり、一対一関係を結ぶものだと思い込んでいたからだろう。しかしそうではないと授業を通じてわかった。つまり西洋医学的な解釈と気功的な解釈は同じものを違う角度から捉えているだけで、どちらか一方しか信じることができないのではなくどちらも同時に信じることができるということがわかったのだ。
そのことが分かってから静坐をしていたら、あるとき一瞬だけではあるが下丹田が身体の中心であることが理屈ではなく自然と身体で感じることができた。その時心も体もとても穏やかで、これがあるがままの健康的な姿なのかと感じることができた。
ほんの一瞬であったが気功とはなんなのか分かることができた気がした。
学生5
私はこの授業を受講する前、「気功」というと太極拳のようなスポーツの一種というイメージを持っていました。しかし、最初の方の授業で先生が「気功は医学の一種です。」とおっしゃっていて初めて気功が東洋医学の治療法の一つであるということを認識しました。また、その中で印象深く残っているのが「病は気から」という言葉です。「病は気持ち次第で治ることもある」という“病は気持ちの問題から”という意味の言葉だと思っていましたが、この“気”が実は気功のことであって、病は“気”という人間が生まれながらに持っているとされるエネルギーを操って内面から治すことが出来るという意味の言葉であることを先生の講義の中から学びました。さらに、西洋医学と東洋医学の違いについて調べてみた結果、「西洋医学は悪いところを直すもの。東洋医学は病気にならないように予防するもの。」という違いがあることを知りました。薬や手術といった科学的な治療法を使う西洋医学に対して、あくまで内面から病気になりにくい健康な体づくりをしていくというのが東洋医学であり、気功という方法であるということを学びました。健康を手に入れるために使う薬や手術といった科学的な治療法には副作用のような副産物がつきものです。それに比べ、人が持つエネルギー、気を操ることで病を改善に導く気功は、本当の意味で「健康」な状態を作ることができるのではないかと考えました。
ここでこの授業を受けてみての私自身の例をあげたいと思います。私は気功を初めてやってみて、その中で自分の肩の異変に気が付きました。昔から肩が凝りやすい体質ではあったのですが、それに加えて生活習慣の影響で左右の肩のバランスが崩れて右肩下がりになってしまっていたのです。最初の方の授業で無極椿をやっているとき、自分では左右対称に腕を丹念に向けているつもりでしたが、先生に右肩が下がっていると指摘されて、初めて自分の肩の異変に気が付きました。無極椿で腕をあげている状態でいることにすぐ疲れてしまい、腕を降ろしてしまうのは、肩こりによって肩に負担がかかりすぎてしまっているからかもしれないと思いました。そこから、無極椿のときも、第1節から第7節までやるときも、毎回左右のバランスを意識してみるようにしました。特に効果的に感じたのが、第7節です。小指、人差し指、親指と徐々に増やしながら肩を回すのを何度も繰り返していくうちに、最初は重かった肩が、段々軽く、回しやすくなったように感じました。このとき、動作と連動して、どこで息を吸って、止めて、吐くのかといった呼吸も重要になってくるということを実感しました。
完全に右肩下がりが治ったかどうかは正直わかりませんが、以前に比べて肩が凝りにくく、軽くなったように感じました。最近はスマートフォンの普及で、生活の中の大部分の時間が下を向いて過ごしてしまっている人が増えていると思います。そんなときにはこの身体系ワークショップ7を受講して学んだ知識と経験を活かして、気功で自分自身の力で不調を改善することで、健康な生活を送っていけたらいいなと考えます。
<参考文献>気功メディカルセンター kikou-c.com/index.html
学生6
気功について、健康行動に影響する3つの要因から論じたいと思う。まず、その要因として、個人的要因(生活活動レベル)、基本的要因(人間の発育、発達、成長、老化の家庭)、環境的要因(自然的、社会的、文化的など)を挙げることができる。今、現在営んでいる生活レベルをさらに、豊かにしようとして行うのが個人的要因であるが、それらはその手段自体が目的化してしまったり、絶え間ない自己実現の欲求により本来の目的を見失いがちである。だが気功はそれ自体が内包しているリラックスする、何も考えないという特徴のために、健康の目的意識を自分のペースに合わせて設定しやすい。さらに気功は精神修練の方法でもある。これは、健康が権力や時代によってその姿を大きく変えるために、自らの健康の対する基準を持つということの重要性と関連している。精神と身体をバランスよく鍛え、自らの身体を深く知ることが周りの環境に適応しつつも、決して流されることのない身体をつくりあげるが、それを生活レベルで実践できるのが気功だと感じた。そして気功には様々な動きがあるが、それらは日常生活の動きと深く関連している。
はじめに膝を少しゆるめたほうが腰の状態によかったり、肩甲骨を大きく伸ばす動きであったりはすべて、我々の日常生活をさらに豊かにするための動きで人類の歴史が詰まった動きである。ここからも、生活の延長線上に気功があることがわかる。次に述べるのは基本的要因との関連性についてである。健康に関する意識は年齢が上がるとともに徐々に増えていくがそれは社会的な制約や責任が増していくことと比例している。そのため、社会全体の健康という意識よりも個人個人に合った健康レベルが必要になってくる。気功はほかのスポーツや武術に比べてみても年齢差、性差、体格差、そして身体的な衰えをあまり感じさせないため、個人個人で各々の健康について向き合うことができる。さらに、気功を基本的な要因とともに考えてみると、生涯運動であると同時に個人の健康観の実践であると思う。そして最後に環境的要因とともに述べたいと思う。気功の生まれた中国、そして東洋について考えるとき、「そこにはすべてのものが関連していること、すべての道理が通じること、すべてのものが「正」と「反」の両面をもっていること、系統の性質がそれを構成する個々のものの性質の簡単な和でないことなどのような全体的に・総合的な考え方」である東洋思想が流れている。つまり、七情という健康に影響する内環境が崩れた時に、外部の力に頼らないで自分の体を自分で治したり、六淫という健康に影響する外環境に自分の身体を順応していくという健康観につながっている。
このように気功と健康は人間の内側と外側を必然的な関係で結んでいたことがわかる。
引用文献
寥赤虹 寥赤陽 気功その思想と実践 春秋社1998 35p
参考文献
寥赤虹 寥赤陽 気功その思想と実践 春秋社1998
UEC健康・スポーツ科学部会編 健康論改訂版 道和書院 2008
学生7
気功は健康増進に多大な好影響をもたらすと思われる。
ひとつめの理由は、私自身が気功を実際に体験してみて、健康への多大な効果を感じたからである。初めて気功の授業を受けたとき、終わったあとに頭がすっきりしていると感じた。授業前は眠くて仕方がなかったので、気功の授業の際に少し寝たからすっきりしたのかな、と最初は思っていた。しかし、この授業を半年間、毎週受けてきて、寝たことが理由ですっきりしたのではないということに気が付いた。先生が一人一人のところへ行き、気を送った後は、必ず自分の内部に力を感じた。また、自分の手で丹田を意識すると、お腹に温かいものを感じた。そして、内経図を使って先生が説明してくださった後、舌の先を上あごにつけ、気の流れを頭でイメージしながら行なうと、実際に流れを感じることができた。今では半円、または円形になって気功の鍛錬を行なわなければ、気の流れが途切れてしまう、ということも理解できる。身体で気場を感じ、自分の中から力が湧いてくるようであった。
最初は呼吸を意識しながら取り組んだが、だんだんと、ここで吸って、ここで吐く、というのがわかるようになり、自然と身体がそうなっていった。武術や太極拳の授業でも学んだが、ゆっくり呼吸をすることは最大のリラックス方法であり、身体の可動域が大きくなったり、脳に酸素を行き渡らせることによって気分のリフレッシュにも繋がる。
私にとって、水曜5限という時間は一週間で一番疲れている時間だった。火曜の身体系のゼミで筋肉痛と腰痛を抱え、夜遅くまで働き、水曜の朝にまた違うバイトをしてから授業に臨んでいた。腰痛を先生に見抜かれた日もあった。しかしこの気功の時間のおかげで、腰痛は改善し、気分をリフレッシュしてまた一週間頑張ることができた。この授業を取って本当に良かったと思う。
また、ふたつめの理由は、気功と健康に密接な関わりがあると多くの人の間で認められていることである。
中国の『黄帝内経』という医学書では、「現代の人は、酒を飲み、柔らかい食べ物を貪り、情事に耽り、一気に精を使い果たすから50歳ほどですっかり衰えてしまうが、昔の人は気功を実践し、規則正しい生活をし、適度に働いていたため、100歳になっても動作が衰えない」と説いている。この本は卑弥呼の時代に書かれたものだが、こんなにも昔から気功の健康面での効用が認められていたのである。
日本では気功は、医療法としては認められてはいない。しかし今では、市民センターで気功のレッスンがあったり、この立教大学と同様に、多くの学校で気功の授業が取り入れられるほどとなった。それほど、日本には気功が浸透しており、多くの人が気功の健康価値に気付いているのである。東中野の気功メディカルセンターでは、「気功による健康増進、痩身(ダイエット)、癒やし、難病に取り組んでいる(気功メディカルセンターHPより)」。このセンターでは、気功は消化器系、神経系の病気の治癒率がとても高いと提唱している。その他、精神緊張を緩めたり、副交感神経の機能を強めたり、血液中の栄養物質に好影響をもらすことなど、気功の効果として挙げている。
このような理由から、気功は健康に良い効果をもたらすと考えられる。
学生8
初めに、本レポートでは、気功の所作がなぜ健康に繋がっているのか、その関係性から考察していくものとする。
講義を通して、気功には、精神、身体機能、呼吸、姿勢を整える効用があると学んだ。実際に調べてみると、具体的には、以下の八点が気功によって効能が期待できると記述されていた。
・免疫力を高め、自然治癒力を増強する。
・リラックスすることにより心身のストレスを取る。
・経絡の通りを良くして、気血を調和させる。
・大脳皮質の興奮を和らげ、内臓の働きを良くする。
・自律神経のバランスをよくする。
・基礎代謝を低下させて、エネルギーを貯える。
・腹部の刺激により、消化吸収を活発にする。
・様々な潜在能力を開発する。
そこで、これらが気功のどのような性質が及ぼす影響なのかを考察していく。
まず全体的に、気功には、人それぞれ異なる、当人の一番楽な体勢、気構えで臨むことを良しとする性質があるように見受けられた。この性質が、自然体でいることで、心身のリラックスに繋がり、ストレスを取り除くのに貢献していると考える。
次に、講義の様々な場面で重要なツボとして紹介されていた労宮を絡めた所作について考える。労宮は心包経という経路にあり、指圧することで血行を改善するツボとして知られている。しかし、実際に講義の中では、指圧ではなく、労宮から生命エネルギーとしての気が放出されているイメージからの健康法を行っていた。これは、緊張やイライラを抑制する作用や、動悸や胃の不調に効く作用といった精神や身体の健康に大きく関係している労宮を、生命エネルギーの入出口として考えたためだと推測できる。実際に取り組んだ一連の動きも、他の健康に関係したツボと組み合わせた所作であり、効率良く心身を健康に導いていたことが伺えた。
このようなことから、気功は、人間の身体機能についての知見から生み出され、健康において最大限に人間にとって有益な効能となるよう考え出されたものではないかと考察した。
学生9
私はこの授業をとおして、心と身体の密接な関係を意識することができた。世間一般的に心と身体はつながっているとよく言われてはいるが、気功は、その良い繋がりを最大限に引き出すことができることが分かった。
私は授業で気功を習う以前からスポーツジムに通っており、定期的にヨガを行っていた。それぞれヨガはインド生まれ・気功は中国生まれのどちらも健康法であり、はじめ、ヨガと気功は似たようなものだと考えていた。しかし、授業をとおしてこの二つを比較することができた。まず、ヨガでは一定のポーズで静止し呼吸を繰り返すことによって全身の血流を良くしたり、心を落ち着かせたりするものだが、これは気功で言う静功に似ている。しかしヨガでは柔軟性が求められるポーズが多くあり、元々身体の硬い私にとっては身体が痛いことや呼吸が苦しいことも多々あった。この点において静功の場合、立つか座るかして完全に静止するため全く身体に負荷がかからない。そのため邪念を払いやすく、自分の呼吸に集中することができるのである。また、ヨガにはない点であり気功のもっとも特徴的なものとして、動き続けることで行う、動功が挙げられる。動功にはさまざまな動きがあり、その多くは伸びたり縮んだりと身体をダイナミックに使うものである。中でも私のお気に入りは龍の動きを模倣したもので、気持ちが良く身体を動かすことができ、全身に血が巡って指先から足先までポカポカしてくるのが自分でもよく分かる。このように、決して無理することなく自然な呼吸と共に身体の稼働域を広げられるのが気功の一番魅力的なポイントである。
そして気功は、身体だけでなく確実に心にも良い影響をもたらすのだということを体感する出来事があった。毎回の気功の授業のはじめに行う、心地よい自然の音が流れる中で正座をし、目を閉じて自分の内側の気を外側に吐き出す方法が自分にとってリラックスできることに気がつき、就寝前に自宅でも行うようになった。すると、その動作を行った日はとても深い眠りにつくことができ、次の日の朝の気分が全く違うことに気がついた。また、私は元々とても上がり症で、見知らぬ人と話すのがとても苦手だった。そのため、就職活動での面接のたびに胃が痛くなっていたのだが、大事な面接の前にひとりで目を閉じで、丹田に気を送り込むことを意識してゆっくり呼吸を繰り返すととても心が落ち着き、緊張が和らいだ状態で面接官と話をすることができた。
授業で気功を習い始めて驚いたことはそれだけではない。想像力が豊かになったのだ。これはおそらく授業で、目線、そして意識を自分の内側に向けたり外側に向けたりすることによって鍛えられたのだと思う。自分と宇宙との壮大なつながりを感じることができたのは生きてきた中で初めてで、まさに気功の精神である「愛」「感謝」「生きる喜び」を実感した瞬間だった。身体的・精神的な健康を手に入れただけでなく、生きていく上で重要なことを学べたため、気功の授業を履修して非常に良かったと感じている。
廖先生、半年間ありがとうございました!
学生10
気功の授業を初めに受けた時、私は驚いた。授業の90分間のうちのほとんどが、体がほぼ寝ている状態にあったからだ。こんなにリラックスしながら受けられる授業があるのか。しかし、授業の回数を重ねていくうちに、踊りとの繋がりについて考えるようになった。個人的に授業内でも特に繋がりを意識していたポイントが3つある。一点目はあぐらをかいて上半身を円を描くように回す運動である。この運動では、私は腰を起点としてなるべく大きく回すことを心がけていた。そして数回回したところで、お腹の中が熱くなってくる感覚があった。それは、踊りの軸を作るために体幹をしているとき、腹筋を鍛えているときの感覚にとても似ていた。もちろんあぐらをかいて上半身を回す運動は、筋肉トレーニングではないので、肉体的な辛さはなく、精神的にもリラックスはしているのだが、鍛えているときと同じ感覚に陥る点が面白いと思った。また、お腹の中にある少量の水分が、回しているうちに臍から熱を感じ、沸きそうになる感覚もあった気がする。そして二点目は、合掌をしながらかかとで足踏みをする動きだ。これはダンスの16ビートのリズムをとる練習と全く同じ動きだったので揺れながら音楽に乗りたいと感じてしまった。しかし、授業で行ったこの動きは音楽なしで、殆ど目を瞑りながらだったので、体で感じていること以外の情報は一切なく、身体中の水分が動いていたり、頬の肉が揺れていたり、後半はふくらはぎの筋肉が疲労していたりという感覚が研ぎ澄まされ、リズムをとる時とは違う感覚を得ることができた。三点目は、毎回一番最後に行うただマットに横になることである。先生が、「楽な気持ちで、眠くなったら寝ても良い」とおっしゃった時、正直何て楽なのだろう、と思ったのだが私にとってはこれが意外と難しかったのだ。というよりも、週ごとに難しい時と簡単な時、両方ともあり、それは必ずその時の自分の精神状態に関係していた。現在就職活動をしていることもあり、踊りにも思うように取り組めていない。普段よりかはストレスを感じやすい精神状態が多かったこの三カ月、リラックスできるときとできないときの差が激しかったのだ。力を抜こうと思うほど、上手く力を抜くことができず、考えすぎて先ほどまであった眠気もどこかへ飛んでいくなんていう日もあった。そして精神状態も関係あったかもしれないが、奇遇にも私はダンスを踊る上で、力を抜くという行為が非常に苦手である。力を抜くことが上手くできず、指先が伸びすぎていたり、肩が上がって不自然になることが多々あった。特に、コンテンポラリーを学ぶ時には、「今の人間である感覚は忘れ、床に寝転びながら水や大地になったつもりで」と指示されることが良くある。その時には体全ての力を抜きながら動くことが求められる。だから、あの場で「眠れる」状態に精神と身体を持っていくことは思っていたよりも容易なことではないのだと思った。気功は表現のためであるという認識は全くなく、どちらかというと健康のためという考えであったが、体を動かしていくうちに表現のための踊りと似た感覚を何度も覚え、また、その違いを発見していくことも楽しめた。どんな運動でも、身体を使った動きは、表現の一種であるという考えに変わった三カ月の授業だった。
学生11
初めに、本レポートでは、気功の所作による表現と五行思想との関係性を考えていく。
まず、私が講義の中で取り組んだ気功の10節の動きと、その所作による表現の意味を考える上で、五行思想について言及していく。五行は、木、火、土、金、水の五つの元素・自然現象で構成されており、その推移や関係性によってあらゆる事象を捉えていく考え方である。
木行は、樹木が大地に根をしっかりと張り、立っている様を表し、成長や発育を体現する要素として考えられている。火行は、火が燃え盛るように、成長を活性させ、勢いづく様子を表す要素として考えられている。土行は、大地が万物を支えるように、生命を育むエネルギーを蓄えた要素として考えられている。金行は、金属や鉱物が生成された後、冷えて硬くなる性質を持つことから、活性したエネルギーを落ち着かせ、整った状態を与える要素として考えられている。水行は、水が湧き出て流れることになぞらえ、生命の根源であり、活動の存続を促す要素として考えられている。
さて、気功は気の使い方を学び、いかに実生活において、有益な効果を生み出していくものである。実際に、講義では、健康法として気の流れを用いていた。行った、気の流れを体現する動きは、五行思想で捉えられると考える。
実際に学んだ所作の一部を具体例として挙げ、考察を深めていく。あぐらをかき、手のひらの労宮(ろうきゅう)の部分を膝の上に乗せて上半身や頭(首)を回す動きでは、水行と金行を表しているのではないだろうか。水行の、水が湧き出て、流れるイメージのように、労宮からエネルギーを心身に送り、また同時に、金行の、リラックスを図り、精神を落ち着かせる作用を体現していると考えられたからである。
次に、无極椿(むきょくとう)と呼ばれている、自然な直立姿勢では、木行を表していたと考える。身体を直立させ、それでいて足を地にきちんと固定させる、また同時に上半身は力を抜き、体を動きたいように揺らがせるこの姿勢は、樹木が大地に根を張り、直立するようであり、かつ風に揺られる自然の現象を体現していると考えたためである。地面からの気を吸い上げ、自身を活性させるエネルギーを蓄えていたのである。
他にも、両足を閉じて合掌し、左右に手を動かし、膝や腰をそれとは逆に動かす所作では、火行を体現していたように感じている。実際に身体をひねり、内臓を運動させることで身体機能を活性化させることを目指していたように考えたからである。
このように、講義内で行っていた気功の10節の所作一つ一つが、五行思想に根拠づけられて考えられた健康法であることが予測される。上記のことを踏まえて、私は、「気功の表現は、個人それぞれによって異なる自然体を追求するものである」という考え方が、五行思想を最大限に活用することと同義だったためではないかと考えた。
学生12
私が気功に触れたのはこの講義が初めてだった。受講を考えたきっかけは、昨年度までの授業で哲学や異文化に関する講義を受講する機会が多く、自分が触れたことのない思考や、大きな枠組みで捉えると文化を理解したいと考えたからである。実際に講義を受講していく中で、頭で理解したいと考えていたことは打ち破られ、”理解”ではなく”実感”して行くこととなった。
当初抱いていた気功のイメージと言うと、古来より伝わる人々の知恵であり健康に結びつくものだと考えていた。だが、それは予想以上に深く、生命と密接に繋がるものだと講義を通して実感した。
私が講義を通して最も感銘を受けた言葉は「無為自然」である。受講中に繰り返される「無為自然」と言う言葉に、受講期間初頭は戸惑いを覚えた。頭の中に雑念が浮かんでも良いと言うのは想像に難く、例えば日本の寺院で受けることのできる坐禅のように雑念は消さなくてはならないものだという先入観があったためである。後々講義を受けていくにつれ、雑念が浮かんでも良く、任せていれば自然に消えるということが理解できるようになった。そして、識神を働かせるのではなく元神に依るという点が、私にとっての表現に深く繋がると感じた。そのため今回は気功と表現について考察したいと考える。
私はミュージカルサークルにて芝居、歌、ダンスをしていた。ミュージカルは歌がなくてはならないが、ただ単に上手に歌うことができれば良いというものではない。そこには基盤となる物語、芝居が必須であり、その流れを汲んでいない歌はミュージカルとしての歌の表現ではないのである。ダンスも同様である。感情が高まったことによって音が溢れ出し、身体が動き出すという流れが途切れてはいけないのである。私は、このエネルギーの流れが、気功で学んでいる「気の流れ」と似ているのではないかと受講の中で気付いた。講義中に、先生の気を受け入れるようにとの教えを頂いた。このように相手の気を受け入れることも、人と人との関わり合いで成立している舞台と同じなのではないだろうか。
私はサークル活動で芝居を組み立てるという中で、自分の中で内省的になりすぎて頭で考え込んでしまうことが多くあった。卒業生の先輩に頂いたフィードバックの中に、「嘘をつくな」という言葉がある。これは、嘘の芝居をするなというものだが非常に難しく、頭で考え込んでしまうと予定調和のような動きになり嘘になってしまう。困っていたところ、講義内で学んだ「無為自然」を思い出した。嘘の動きとは、身体を制御しようとしているということである。身体を制御するとは即ち身体を拘束し制限していることである。だが、「無為自然」であることの練習が講義内で繰り返されるうちに、任せるということを知った。すると、頭で統制し組み立てたことではなく自然に動くことができるようになった。また、相手と芝居をするときも、気の流れを自然に受け取ることができるようになったと感じる。
受講当初は頭で理解しようとしていた気功だが、講義を通して気功を実感することができた。今回は芝居という表現の中にその感覚を応用したが、これは実生活の人との対面でも有効なものなのではないかと考えられる。今後の生活でも学んだ感覚を生かして過ごすことができればと考えた。
学生13
気功は太極拳同様、中国では伝統のある民間療法として使われている。体内にある気をコントロールする内功と、身体に必要な気を外からとりいれ、体内に必要のない気を体外に交換するという外気功という二種類に大きく分けられているのは、実際に授業でも学んだ。気を自分自身でコントロールすることで、体内から健康にする、病気の予防をするというのは東洋的考えの医学である。西洋医学と東洋医学の違いは、その症状になってから対策をとるか、なる前にとるかの違いである。西洋医学は風邪をひいたら、その症状を抑える薬を処方、ケガをしたら、鎮痛剤をうち、症状が悪化しないための薬や治療を施す。それに対して、東洋医学は対症状ではなく、あらかじめ身体を丈夫に健康に保つための医学で、身体の機能を利用し向上させることで、病気になりにくくするというものである。例をあげれば、この気功であり、自然にある漢方などを煎じて飲むというのがいい例である。
西洋医学は薬など、普通では体内で生成できないものを外部から強制的にいれて、その菌などを消すという、自然に逆らった治療の仕方であると考えることが出来る。しかし、東洋医学は、自分の体内にある気を使うことで、体調を整えたり、漢方などで体内の臓器などを無理の無いように自然と活性化させて身体機能を向上させることで、長寿など身体の衰えを抑えることが出来る。東洋医学は、より自然に逆らわずに自然を受け入れ、より身体を自然に近づけることが健康へつながる道の様に思われる。
20年間生きているうえで、気づかないうちに自分が実践してきたことは数多い。子供のころ薬が嫌いだった私は、苦い薬を飲めずによく泣いていた記憶がある。それに対し、祖母は、「薬が嫌いなら病気になっちゃだめだね。病気にならないためには、普段の生活を健康的に規則正しく生きなきゃだめだね。」といつも言っていた。そのころはよくわからなかったが、今、その意味がよく分かる。中学生、高校生になり体の変化に気を付け始めた私は、身体に良いとされるお茶(ウーロン、プーアル、はとむぎ)を飲んだり、冷たい飲み物は極力控えたり、食べる物も少しではあるが、根本的に食生活には気を付けた時期があった。実際疲れにくくなったり、ニキビなど身体の不調が減ったように感じた。
しかし、大学生になって部活で日本拳法を始めてから、身体の不調を感じるようになった。激しい運動を今までしたことがなかった為に、疲労の溜まり方が激しく、また、大学と部活、バイトの両立が大変で短い時間での睡眠や疲労の回復がとても難しく感じた。それに気づき、時間が少しでもあれば、授業中に手のひらのツボを押してみたり、ふくらはぎや腰を揉んでみたり、様々なことをして少しでも疲労回復を図ろうとしたが、あまり効果は感じることが出来なかった。やはり根本的に睡眠から治していかなければいけないと思い、気功の授業をとった。この授業では、呼吸法や集中の仕方、体の動かし方や、頭の中を静かにする方法を学ぶことが出来た。今までやった中で一番よく感じたのは無極とうである。静かに静止して立っているだけであるが、短い時間で集中して心を無にすることが出来るように感じた。実際、授業で教えてもらったものをいくつか普段意識して使ってみると、疲労回復を感じられるものがあった。呼吸法などを意識するだけで、電車に乗っている時間やバイトの短い休憩時間、集中して短期間でリラックスすることが出来た。
健康のために、サプリメントを飲んだり、栄養剤を飲む人は多いが、少し心の余裕をもって、自分の体と向き合ってみるのも悪くないのではないのではと感じた。
学生14
現代医学は外部の原因による病気に対しては絶大な成果を上げたが、現代社会の中に出現してきた精神病や、自律神経失調病や慢性疲労症候群、また肩こりなどの体内部のアンバランスに対する病気に対して、現代医学は無力である。
その点で気功は効果があるといえる。東洋の全体的思想の中心となる考え方はふたつある。ひとつは心と体は繋がっているという、「身心統一論」であり、もうひとつは、人体は宇宙の縮図であるという「天神合一」と呼ばれる思想である。気功の練習を通して私たちは、自分という「小我」が宇宙という「大我」に溶け込むことを実感する。それによって、自分の身体と頭と心の改革を行い、正常な自然治癒能力と自己保護能力を取り戻す。気功による医学的効果はオカルトだと思われる傾向があるし、自分もそう思っていたが、実際に成果を挙げている事象がいくつもあるのに驚いた。さらに、自然・社会・他人と調和する広い心を作り出す。気功の最後には必ず合掌をした。自然や周りの人、そして自分を大切にしようという気持ちになれる。気功によって、健康だけでなく、頭も良くなると言われている。雑念を取り払う能力が高いほど記憶力も良いのである。確かに、頭が空っぽの状態のほうが知識の入りやすいということは頷ける。
しかし、気功では無理に雑念をとり払う必要はない。そのままを受け入れるのだ。そうすれば雑念はまた他の雑念に変わるか薄れてなくなっていくものだ。健康に影響する要素には、天気や風土などのような外的な環境要素と感情などのような体の内部の環境要素がある。物質文明はこの外部環境を大きく変え、これが人間の健康に良い意味でも悪い意味でも影響を及ぼした。そのため、環境を破壊してはいけないという認識につながるのだ。
また、暖房や冷房は人間の自己保護能力を低下させた。人間の体は気候がおかしくなると気の巡りも壊してしまう。また、陰陽のバランスも人体にとって大切だというのは授業でも先生が強調していた。気功練習の中心は、静座とよばれるような瞑想状態、つまり静功である。運動をすればするほど、健康によさそうなイメージがあるが、日本の就職別の平均寿命の調査データを見ると、長寿なのはただ静かに座禅しているような和尚であった。反対に短いのはスポーツ選手なのである。私たちの予想と相反するものである。現代人の健康管理能力は低下していると言われているが、その原因は頭が賢くなり、休まず回転しすぎているためだ。気功によって、日々追われているものから一旦目をそらし、リラックスすることで、元の健康状態を取り戻せる。自分も気功によって日々いろいろなものに追われている生活をおくっていても、気持ちに余裕を持つことが出来たので、今後も続けていこうと思う。また、視力回復を実現したい。
参考文献
気功―その実現と実践 廖赤虹、廖赤陽
学生15
私はこのレポートで気功と健康のつながりについて述べる。春学期の授業を通して健康に著しい変化がもたらされたわけでなかったが、自分の身体に起きた変化などから気功を行うことによって歪みがリセットされていると感じた。
私は第一に身体の歪みそのものがよくなったのではないかと考えている。特に第3節の金龍起舞や第4節の碧海戯珠、第5節の雲天揺首などは首や背中がすっきりとするような感覚になった。3、4、5節が終わると、体温が全身に拡散されたような気分になり、頭から足先までじんわりとしていた。これは身体の歪みがよくなることで、体内の血液や気の流れがよくなったのだと考える。
第二に心の歪みもリセットされたように感じた。私は大学生になって満員電車に乗るようになってから朝はイライラしたり急いだりしていることが多かった。また最近は就職活動や様々な締め切りなどが頭にあり、心配事がたくさんあったように感じる。しかし気功をしている最中は頭を無にしてリラックスするという教えの元、余計なことを考えないようにしようと意識的に思っていたところ、次第に意識せずともリラックスできるようになった。このことで少なくとも気功を行っている最中は急ぐ気持ちや何かをやらなければいけないという考えから離れることができ、終わった後に心がリセットされたように感じる。
また、このような身体と心の歪みのリセットはそれぞれ独立して行われているのではなく、お互いに影響を与え合っているのではないかと感じた。身体の歪みを改善することによって気分が落ち着いたり、静坐や晃海法をした後は身体も気分も軽くなったりするからである。このように身体と心は繋がっており、内部の気が整い身体も整うと心も整うのではないかと考える。
私は静坐や晃海法をしていると物凄い勢いで眠気が襲ってくることがあった。普段電車に乗っている時や授業を受けている時などに眠くなることはあるが、すぐに眠くなるのではなく、だんだんと眠気が襲ってくる。気功の授業では驚くほどの速さで眠りに落ちてしまうので、いつも不思議に感じていた。晃海法について調べてみたところ、不眠症に効くという記述があり晃海法の動きの何がそうさせるのか疑問に感じた。授業での晃海法を振り返ってみると、身体が前に倒れるときに息を吐き、天を仰ぐときに息を吸うという動作が行われていたが、そのゆっくりとした呼吸が眠気を引き起こしている一つの要素なのではないかと考える。また、晃海法をしている時は内臓が押しつぶされ、解放されるという動きが繰り返されることによって血液が循環するということを廖先生が仰っていたのを思い出し、血の巡りがよくなることによって体温が上がり身体が睡眠に適した状態になっているのではないかと考えた。
これらのことから、気功は呼吸などで内部の気を整えて、身体と心を落ち着かせる効果があり肉体的にも精神的にも正常に戻す役割があるのではないかと考える。
学生16
私たちが日常生活の中で何気なく行っている動作や行動も表現であると考えられるが、ここでは特に私がやっているバレエという芸術表現における気功の応用といったものについても見ていきたい。一見つながりのなさそうな「気功」と「バレエ」であるが、身体という観点からみても必ずどこかでつながる部分があると私は考えている。
まずは、「呼吸」。呼吸は意識しようと思ってできるものではないが、呼吸をしなければ流れを止めることになってしまう。固い動きにもつながるであろう。
そして、「形」ではなく「流れ」を重視するということについて…(自分の経験から)バレエは型にとらわれがちであるが、音楽とともに、呼吸とともに踊っていくことが大事である。<流動性> また、バレエは言葉(声)を必要としない表現であるが、発声し、自分の声を聴くということに関して…自分の内側から発せられるもの。普段意識していない部分が見えてきたり、感じられてくるような気がする。何気ないことかもしれないが、これが自分の表現になっていくということは興味深い。そして、ここでは「動静」および「メリハリ」といったことも関係してくる。人間の感情と同じように動きにもメリハリをつけていくことによって、身体感覚を意識すると同時に呼吸も変わってくると考えられる。どこに意識を向けていくかということが重要なのではないかと考えられる。
ここで、東洋と西洋というルーツの違いは興味深い。
表現は、自分を取り巻く環境や世界をどのようにとらえているかと直結しているように感じる。自分が見ている世界…「内と外」「自己と他者」…こういったものが課題として出てくるのではないだろうか。自分の立ち位置を理解していなければこの世界で生活はできないし、ましてや作品を作るということは困難になるであろう。(作品を作ることは誰にでもできる。しかし、それを外に発信していくとなった場合において、その時代や社会がどういう状況であるか、そして自分はどこにいてどのような役割を果たしていくべきかということについて考えることが必要不可欠であるという意味である。)
私たちは様々な関係の中で生きている・暮らしている。互いに影響し合いながら「自己」が形成されていくのである。ここで、自分をコントロールしないということについて…私たちは様々な制約の中で規則にのっとり、コントロールし(され)ながら生きているといえるだろう。そんな社会においては自分を見失い得る。そこで、気功を通して自己を取り戻すことが可能であると考えられるのではないだろうか。何事も、バランス及びメリハリが必要なのだ。
理論的に考えることと、実際に体を使って動かすこと。どちらかだけでは成立しない。
現代社会の中でどのように生き、どのように自分の表現を追求していくかが課題である。
意識しなくてもできるレベルにしていくということ…そこに行くまでには訓練が必要である。日々の積み重ねであり、集中力および忍耐力も必要になってくると考えられる。(訓練することによってこの集中力や忍耐力も身についていくともいえるだろうが。)
世の中が日々刻々と変化しているように、人間も日々物質レベルで変化し続けているということを忘れてはいけないだろう。そして、変化の中にも、必ず変わらずに残り続けるもの(その人の中で一貫しているもの、潜在的なもの、本来備わっている力など)があるということを。訓練により、人に体は変わっていく。心も変わっていく。世界の見え方も変わってくるであろう。そして、そのことによって自分自身をより知ることにもつながるのではないかと考えられる。
「体現性を伴わせた表現をするということ」→体現と表現の違い
何かを表現するということにおいて、自分の中で発酵させる時間が必要であるといえる。
~空気~
周りの環境との関わりの中で生まれる自己、そして表現。五感とそれを超えるもの(第六感)について。人間には普段は意識していないが、潜在的なものや力があると考えられている。本来持っているもの、それを呼び起こすような感覚を「気功」によって得られるのではないかと考えられる。そして、それが自己の「表現」及び「生き方」へとつながっていくのである。
何も考えないでボーっとしているときが一番考えられたりするのはなぜか?
私たちはふだん考えなければならないことがたくさんある。しかし、ため込んでいくだけではいつか限界、キャパオーバーが来てしまう。そんな中、定期的にクリアーにする機会を設ければ、もっと楽に生きられるようになるのではないかと考える。生きやすさ・ストレスフリーの生活…とはいっても、完全にストレスをなくすことは不可能である。光や電波など私たちは様々なストレスにさらされながら生きているのである。
ストレスとは切る離せない社会に生きている私たちであるが、少しでもいい方向に変えていくことはできるであろう。外に意識を向けていてばかりいては自分を見失ってしまうし、反対に、内側にばかり意識を向けていても周りが見えなくなってしまうといったことが起こりうる。つまり、バランスが大事なのである。意識すべきポイントを理解し、知っておけばいつでも実践できるし、簡単であろう。気づいた時、時間があるときに実践し、訓練していくということ。気功は、自己と身体を意識し、知る上で、いつでもどこでも行えるという点において、だれもができる有効な方法であるといえるのではないだろうか。
学生17
全14回のワークショップを通して、実技を中心に気功のことを学ぶことができた。気功は健康法であること以上に、生命観、人生観、概念であることを学んだ。そのうえで、気功が健康にどのように影響を及ぼすのかを考えたい。
気功をするときには頭の中を空っぽにし、リラックスしてマイペースでやることが大事だということを繰り返し教わった。自分自身、毎日新しい情報に触れ、常に考え事をしているため、気功によってリラックスすることで頭と身体がスッキリする感覚を毎週味わっていた。特に頭を使うことが多い現代社会において、一日のうち、30分でも1時間でも気功によって心身共にリセットすることは精神衛生上良いことだと考える。
気功の基礎として、気のエネルギーの流れを意識することを教わった。正負の気の流れを意識し、悪い気を体外へ吐き出し、良い気を取り入れるイメージを持つことを繰り返し行うことによって、健康を保つという考え方だという風にとらえた。実際にそのイメージを持って繰り返し内気功を行うと、身体の調子が良くなった気がする。事実、この半年は具合が全然悪くなっていない。ただ、気功が効くということを信じて行うことによってはじめて効果が出るのか、それとも要点を抑えて行うだけで効果が出るのかについては疑問が残る。個人的には、気功の効能を信じて取り組んでいたので、偽薬効果によって身体の調子が良くなったのではないかと考えている。
第6回目前後からは音声気功というものを習った。音声気功は「あいうえお」の音を発声し響かせることによって、対応した5臓の調子を整えたり、感情をコントロールしたりすることと学んだ。実際にやってみて思ったのは、体内で響く音がディジリドゥの音色に似ているということだった。ディジリドゥとはオーストラリアの先住民族に伝わる、管状になった木の楽器であり、「ボォー」と響く低い音色が出る、世界最古の木管楽器と言われている。ディジリドゥの音色は奏者も含めて、聴く者をトランス状態にすることができる。音声気功も同様にトランス状態に入りやすくなるのではないだろうか。トランス状態に意図的に入れるようになると、ストレスコントロールが非常に容易になるといわれている。気功においても、トランス状態に入ることによって、ストレスコントールを行うことができるのではないだろうか。
ストレスコントロールができるようになれば、ストレスによっておこる、うつや頭痛、不眠症など、様々な体調不良を回避することができる。ディジリドゥと違い、身一つでもどこでもできるうえ、ストレスの原因があふれる現代社会において、気功によって健康を意識して心身の調子を整えることは、有意義なことだと考える。
参考文献
三国英一(1995)「気功保険体操の効能――長寿,健康の秘密――」『関西鍼灸短期大学年報』10, 45-48p関西鍼灸大学
アラステアー・ブラック(1994)『ディジリドゥー 世界最古の木管楽器 入門書』
学生18
私はこの授業を受講するまでに、気功というものに触れられる機会はほとんどなかった。一番初めの授業時は、一体この動きがどのような影響を、身体に及ぼしてくれるのかとわくわくした。手のひらの真ん中に労宮があると教えていただき、膝にくっつけるように手のひらを置き、初めての静坐をした。目をつぶると自分の頭の中では、目を開けているときよりも、雑念が浮かび続け、正直リラックスはできなかった。このときに私は、これはいつも眠ることに時間がかかる状態時と同じだと気が付いた。つまり、リラックスした状態を作り出せていないのだと分かった。雑念は悪いことでは無いのだろうが、時折、私の健康状態を悪化させているようだ。さらに手のひらは汗を大量に掻いていた。さらさらとしたスポーツの後のような汗ではなく、なんだか気持ちの悪いベトベトとした汗であった。初日に気功は健康促進に効果があると知ったことで、自分自身の身体を見直す機会となった。私は、肩こり、寝つきの悪さ、冷え性に悩まされているため、できる限りの解消を試みた。
二回目の授業時には、初回よりも両手の労宮を向かい合わせると、ねばねばとした糸のようなものを感じることができた。さらに、手を広げていくときに押されて広がるような感覚になり、反対に縮めるときには、弾力性のあるボールを持っているような気分になった。これを丹田に収めると、若干ではあるが、温かさを感じられ心が非常に落ち着いた。目をつぶり、木になったように地面に立つと、爽やかな風と緑の匂い、降り注ぐ太陽光を体全体に感じられたような気がした。前回とは違い、脳内も身体全体も、雑念は無く、その場の空気と一体化しているような気持ちになった。この効果は「微笑む」ことで更にリラックスした気持ちが増していった。顔の表情金がほぐれ、身体の静かな状態を感じられた。この日から、私は就寝する前に、少しだけ静坐をするようにした。すると驚くほどぐっすりと安眠することができた。この体験から、今までの眠りは本当に身体がリラックスできていたのかと考えた。そもそも私は、生活するうえで、静かになる時間(リラックスした時間)が無かったのではないかと感じた。この授業を通し、自分自身のリラックス方法を見つけることができ、体が軽くなったような気持ちがした。
授業を重ねていく上で、動きも増え、臓器が温まるような感覚をたくさん得ることができた。私の場合、特に龍のポーズは体全体の血流がよくなるような気がして、経路に気が流れやすくなっていると感じている。おかげで冷え性も肩こりも前より良くなってきた。そして、よい意味で適当で怠け者になる術を手にすることができ始めている。体をリラックスさせるために大事なことは、きまりや定型を作らないことではないかと感じた。気功を通して健康を保つことは、心の安らぎにもなり、心身ともに健康になる方法であると学ぶことができた。
学生19
気功とは中国発祥であり、気(生命エネルギー)によって、自己の免疫力、治癒力や調整力を高め、「自養其生」(みずからその生命を養う) することを目指すものである。日常生活に取り入れることで、自身の身体の変化に気づき、治療することができる。気功により身体のツボを通して、悪い気を除去し、良い気を取り入れることができるという考えで、呼吸器系、心臓、循環器系、消化器系など全身の機能を調和させ、健康にすることが可能であると言われてる。またリラックス効果もあり、自律神経を整えることもできる。
気功を訓練するにあたり重要なことの1つが呼吸だ。特に丹田呼吸は重要だと考えられていて、丹田に気を送ることで全身の気を循環させることができる。気功を訓練していると丹田がポカポカと温かくなる。講義でも前半部分で鼻先から丹田を見る意識で目をつぶり気を感じる練習をしたが、大きな動きをしたわけでもないのに全身が温かくなり、気持ちもすっきりとした感覚が得られた。回数を重ねることでより丹田への意識が強くなっていったので気功は練習を重ねることでより大きな効果を得られるようになると感じた。講義の後半では龍の動きをまねた動作の練習をした。呼吸をしながら関節を大きく動かすことで全身が伸ばされて骨を元ある位置に戻しているように感じた。筋肉も無理なく自然と動かされることにより静かな全身運動が行われ、講義の後は気持ちの良い疲労があった。
気功を理解するにあたり、“ツボ“も大きなポイントとなる。頭部から首にかけてある風池、風府のツボ、手の平にある小魚際、大魚際など、全身にツボがあり、それぞれ身体に対する効果も異なる。頭のてっぺんにある百会は天から気を取り入れ、手の平にある労宮は気を出すことができ、気功において重要なツボである。ツボを押すととても気持ちがよく日常でも簡単に取り入れられるため知識の少ない人でも一人で実践できるのが良い点だ。
気功は実験によっても科学的にその効果が認められている。例えば、訓練を継続することによって、糖尿病患者の血糖レベルを有効に下げたり、血中脂肪を減少させる効果があることがわかっている。閉経していた女性が再び生理がきたり男性で髪が生えてきたりと性ホルモンに対する効果も見られている。医療の一環として取り入れるべき大きな効果があることは確かだ。
また、気功には私が胸を打たれた、素晴らしい精神がある。“愛“、”感謝“、”生きる喜び“を重んじる考えだ。”愛”は他者を愛すること、そして自分自身も愛すること。他者に”感謝“すると同時に人間の食物になっている動物、植物に感謝すること、消化活動を行ってくれる自身の肉体に感謝すること。最後にこの世界で生を受けたことに対して喜びを感じること。この3つの精神を講義で学んでから、私の心は穏やかに、豊かになった。妬み嫉みだらけのこの世界に息苦しさを感じていたときに気功の3つの考えは私の心にスッと自然に落ちてきた。この世界の人々が皆この考えを理解し、行動に移したら、どれほど美しい世界になるだろかと思う。
気功を学習するにあたり、自分の身体には潜在的な治癒力が備わっていること、自然の力は偉大であること、そして自分の身体、他者を愛し大切にすることを学んだ。五感を働かせることで今までとは異なる感覚が得られることを身をもって体験した。授業で学んだ気功の動作や精神は日常に取り入れられるものばかりだ。得た知識を忘れないように今後も自宅で取り組んでいこうと考えている。気功は難しいものかと考えていたが、私たちの身の回りの一番近いところに存在し、どんな国の人でも理解できる、自然な考えだということに気づくことができた。
学生20
私は秋学期、武術の授業を履修していました。そこでの動きはからだを大きく動かすと いったもので健康法にも活用されているものでした。実際私は、今もそれを行っています。 武 術の授業のときには意識していなかったことがあります。それは“気”です。今まではただ 大きく見せたり、滑らかに見せたりすることを考えてやっていました。それだけでも効果 は得られていたのですが、気功の授業を受けてからは変わりました。特に変わったのが、 大きな動きから小さな動きに移行するときです。解放した力を凝縮させるイメージは当初 ありませんでした。そういったイメージをすることによって体の中に確固たる核ができて いるように感じます。力をためるポイント、放出するポイントを明確にすることで体や血 の流れを意識することができました。 “The mind controls the mind.”「病は気から」という諺があります。実際私が受験期で ピリピリしているとき、私や同じようにピリピリしていた母は風邪を引くということがあ りませんでした。さらに言えば、体調が崩れる事もありませんでした。これは諺を体現し ているといえるでしょう。諺の“気”という言葉は“気持”として解釈できますが、“気功” としても解釈できます。“病は気功から”。体内に流れる健康なエネルギーを気功で循環さ せることによって体から邪気を取り払うのです。東洋医学的には、体の中に邪気がある時、 体に異変をきたします。その邪気とは、邪な気持ちだけではなく、気持ちがふさいでいた り滅入っていたりすることもそうです。精神が弱っていると細胞の元気まで奪われてしま うため風邪に打ち勝つことができません。それらを気功で体外に排出することで精神状態 を安定させるのです。 精神状態を安定させるということはつまり、リラックスするということです。気功はリ ラックスした状態を維持します。日常生活で張り詰めた緊張の糸はどこかで緩めなければ なりません。そうしないと、いつかプツンと切れて不健康体になってしまいます。そうな らないために気功を実践するのです。“心頭滅却すれば火もまた涼し”という諺があるよう に、心をリラックス状態においていれば外界の情報を自然と排除していきます。頭の中に 余計な情報が入らないことによって、脳内のイメージがますます膨らんでいきます。気功 を行っている時、鳥の声や波の音などの音源をかけることがあります。これは森や海の中 などの自然環境を聴覚的に疑似体験することによって集中力を上げることが目的です。こ のイメージを増幅させることが可能なのです。外界からの刺激が強いとその分精神にスト レスがかかります。それらを気功によって排除していくことで精神を健康に保ち、結果と して身体までも健康になることにつながると思います。
学生21
競争社会に生きる私たち現代人は、外界に対して途切れることのない注意を向けて生活し、過剰なほど気を消耗している。私たちは持て余すほどの物質的な豊かさを手に入れたが、それと引き換えに様々なストレスを抱え、心身の不調と隣り合わせの社会の中で生きていくことを余儀なくされている。近年では多くの人が気の欠乏状態に陥り、中には心身に支障をきたしても働き続け再起不能になってしまう人も少なくない。
古代中国の『黄帝内径』によると、昔の人は気功を実践し、規則正しく食事睡眠をとり、適度に働いていたため心身の健康が保たれ、天寿を全うできたのだという。現代でも、そのような思想が根底にあるため、体を壊すような働き方をする中国人は少ない。対して日本人はまじめで勤勉、何か頼まれると断れないという国民性がしばしば指摘されるが、中国のようにもっと大らかに仕事ができる風潮が広がってほしいと願う。また、ストレスをため込まず病気を予防するために、気功を取り入れることも有用である。
「気」とは自然界に存在するすべての物質の最も基本的な構成単位であり、エネルギーのもとであると考えられてきた。人間は自然界の一部分であり、万物と同じ源流であるためその生命活動は宇宙万物の生命変化の背景で進行している。
気功では後天的な知識の総括を識神と呼ぶが、識神は先天的な意識である元神のはたらきがあってこそ、活発に機能するということを忘れてはならない。健康維持の本能である元神を養うことで、普段は潜在能力として眠っている部分を顕在化して発揮させ、心拍、血圧、皮膚電位、脳波などをコントロールするのが気功の健康法である。血液循環がよくなり、新陳代謝が活発になると、弱っている細胞も活性化して、生命エネルギーがみなぎってくる。また、雑念が取り除かれることで感覚が研ぎ澄まされ、ひらめきや直観力といった元神の潜在的な力が発揮されるようになる。
気功の実践において、私はほんとうに気を感じることができるか半信半疑ではあったが、頭を空っぽにするつもりで取り組んだ結果、3、4回目には手に重みを感じるようになり、次第に気持ちが落ち着き雑念が浮かばなくなった。邪気を流し外気を取り入れることでエネルギーが体に満ちてきたことを実感し、理屈ではなく自分の体で体得するということの重要性を思い知った。気をコントロールするにはまだまだ練習が必要であるが、健康増進のために今後も実践していきたい。